映画「ダンケルク」@丸の内ピカデリー

クリストファー・ノーランの新作。
これは最初のスチール写真を1枚見た時から、絶対見たいと思っていた。
画面への没入感はIMAXが素晴らしいのは承知していたけど、台風が来ているので遠出はせず、フィルムが35ミリで少しはタッパのある画面で見れるらしい丸の内ピカデリーの2Dに行ってみた(ものの記事によると、普通の映画館だと上下40%がカットされてしまうとか)。
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ノーランのインタビュー記事に「映画は体験だ」という言葉があったけど、まさにそのとおりだった。
映画が始まって数分間、映画という体験に放り込まれた軽いショックで身体の後ろ半分にずっと鳥肌立っていた(なぜ後ろ半分?)。
戦争をリアルに描くというのは、「プライベートライアン」のときにも言われてて、あの時はそれなりの納得をしたし、その前、たとえば「プラトーン」とか「地獄の黙示録」とか、ちょっと違うけど「フルメタルジャケット」とか「ジョニーは戦場に行った」とかもある部分のリアルを追求しようとしていたのは理解できた。
でも、ダンケルクはこういったこれまでの戦争映画とはやや違う。
銃撃の場面は多いが、たしか敵であるドイツ兵の姿は映らなかったのではないだろうか。
全編イギリス兵がダンケルクから撤退するはなしであり、戦うのではなく生きるもしくは同胞を生かすためのはなしなのだ。
だからほかの戦争映画に通底する「そもそもこの戦争は何のためにやってるのか」という疑問がここには出てこない。ここでは戦争の不条理を細やかに描くというのではなく、もっと普遍的な、戦争という場だから直接命にかかわることになる個々人の判断や信じるところを描いていて、そして、それらは個々人の意思を超えた生きるということに向かっている
戦争にはネガティヴだけど、人生は戦い続けて行くものなのだというスタンスで、タフで孤独に強い精神(だけ)を描いている映画。
個人の精神の崇高さを描くことで、それを冒涜する戦争を否定するという描き方は、大変にイギリス的なのだと思う。結果として世界をきっちりトレースしている。
史実なので大筋としてはネタバレとかいう部分はないが、細部はかなり創作されていて、加えてハンス・ジンマーのサウンドが強烈に気持ちを盛り上げるので、(良くも悪くも)過剰に感動させられる。トム・ハーディについてはハッとするような瞬間を味わえる。
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さっき見たばかりで冷静に判断できていないのかもしれないけど、ダンケルクは映画の概念自体を変えたのかもしれない。
少なくとも私にとってはそうだ。
ダンケルクを成し遂げたクリストファーノーランは、これからストーリーに頓着しなくなるのだろう。それは映画というカテゴリーだけでなくて。
人が欲しかったのは物語ではなく物語を作る人格のほうだったのだ。
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1964年のフランス映画「ダンケルクの週末」という映画もあったのね。
 

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映画「ボブという名の猫」

金曜の夜は立ち見客もいたほど。猫は世界で人気がある。
私はどちらかといえば犬派で、猫を見るために映画に行ったわけではなく、ロンドンを見るために参りました。
全編ロンドンが舞台の映画。
路上生活の若者が猫を拾って、その猫が人々とのコミュニケイションの媒介になって、ドラッグをやめて、本を書いて、更生できたという、たいへんシンプルなストーリー。
原作は「ボブという名のストリートキャット」として日本語にも翻訳されており、この内容とはやや違うけれど、大筋は同じ内容の映画だった。
映画ではボブ自身がボブを演じていて(!)、ああこんな猫ならこんな話もありうると納得できる魅力を振りまいている。これがこの映画の人気の所以だろう。多くの観客も満足げだった。
ただ、私は、繰り返すけど、ロンドンを見に行ったわけで、冒頭からどっぷりロンドンの映画に大変満足できた。
まさに猫目線の画面も多くて、他の映画よりもロンドンのグラウンドを感じさせた。
それに、映画としてかなりうまくできていることも楽しめた。
こういう、地味な作品を魅力的に仕上げることができるのは、最も素晴らしい能力だと思う。
 

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映画「10年」

暗い、という前評判通り、とてつもなく暗い香港映画(オムニバスで短編5本)を見た。
香港映画と言えばカンフーかカーワイしか知らなかった。そういった娯楽もしくは夢見る映画とは全く違う、日々の日常の不安感を凝視して増幅させてもがく映画。
ぎりぎり商業映画として成立しているかどうかの荒削りさは、一般的にはお薦めできない、
私も、がらんとした映画館で画面の未熟さに辟易していた。
ただ、腹が立つということはなかった。
もし日本の映画でこういう技術的に稚拙なものを見せられたら、作る側の甘えに腹立たしさを覚えただろう。
いったい何が違うのかといえば、それは本物のパッションがあるかどうか。
劇場の椅子に腰掛ける側をはるかに超える怒り。
どうしようもない、居ても立ってもいられない、自分が生きて見ていることを世界に伝えるためには映像を作るしかなかった、
そういうカオスの感情から絞り出されて出来上がった映像は、独りよがりで美しくなくても、受止めることができるのだと、初めて知った。
この映画がそこそこ観客を獲得したということは、香港にはこういうパッションを受け止められる人が多いのだろうか。

映画の情報は右から得た。http://cinefil.tokyo/_ct/17105084

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PCウイルス警告文サギ

短期間で2回踏んでしまった。
下記IPAサイトの本年4月11日記事にある通りの、ニセ警告文。
「インターネットを利用中に、突然“ウイルスに感染している”、“個人情報が流出する”等の警告メッセージで利用者の不安を煽り、表示した番号に電話をかけるように誘導されます。このとき、警告音や警告アナウンスが聞こえるもあります。」
「表示された番号に電話をかけると多くの場合、片言の日本語を話すオペレーターが「パソコンの状況を遠隔操作で確認する」等と説明し、まずは遠隔操作ソフトのインストール方法を案内されます。インストール後は、遠隔操作によって様々な画面を表示させて「パソコンに問題がある」等の説明がなされます。」

「上記のステップで、本当にパソコンに問題があると信じさせた上で、問題解決のために実施した作業や今後のパソコンサポートを名目に、クレジットカードやプリペイドカードでの支払いを持ちかけられます。」

 
IPAやその他サイトを見たところ、
・これはウィルスではなく警告文を撒餌にした詐欺。
・警告文が表示された段階では、情報が抜かれることはない。ただし、スキャンしたり、記憶にない新しいソフトがインストールされていないかをチェックしておくことは必要。
・この撒餌がどのサイトのどのページに仕掛けられているかは、事前把握できない。
ということらしい。
私の場合、1度目の時はネットを強制終了したら症状がおさまったのだが、2度目はネットソフトを立ち上げるとすぐに警告文(音声も出る)が表示されてしまって強制終了しないと消せない、という状態になるため、ネットが使えないことになり困惑させられた。
スキャンして異常がないのに再起動しても同じ偽警告が表示される場合は、ネットソフトの自動回復機能で再現されている。
IPAにも対処方法があるが、下記にさらに詳しい記述があり役立った。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/6130/notes/tech-support-scam.htm
 
IPA記事によると、昨年は本偽警告文に関する相談が前年比7.7倍で、たぶん今年になって加速度的にさらに増加しているのではないだろうか。
私は、ごく普通のレストランの店舗情報や企業情報を検索していて、この偽警告文を短期間に2度仕込まれてしまった。1度目と2度目の画面は似ているけれど若干違っていた。

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J.D.ヴァンス「ヒルビリー・エレジー」光文社

トランプを支持しているというラストベルトの人々はいったい何を考えているのか、それはアメリカ国内でもわかりにくい部分があって、そこを判りやすく示しているために、本書は多くの人に読まれているらしい。
良くも悪くも頑なな気質、生きるためには助け合わなければならず、そこに必要となる絆を愛情だと認識して彼らはそれを強く守る。生活に密着したプロテスタンティズムと明確な善悪の峻別。

ただ、本書は外側の人々の理解を得るためというより、むしろ当の取り残された人々に向けて書かれている。著者は政策の不合理を指摘しつつも、現状を自らの手で変えるべきで変えることができるのだと主張する。
本書は正しい。

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彼は最低辺に近い家庭で育ち、そこから自分の力でアッパー1%の成功者になった。彼が現状を認容できないものとして変えるべきだと思えば、このような主張にならざるを得ないのは理解できる。
しかし、彼自身も気づいているのだけれど、変えようという意欲でもってこの現状を変えることはできないだろう。
彼がイラクに行って小さな消しゴムを男の子に手渡した体験をしたから、彼がイエール・ローに行ってディナーという名の面接を何度もこなしたから、彼自身が変わり行動が変わって接する世界を変えられる力を得たのであり、自身の体験がなければ変われなかったし変える力も得られなかった。

いや、現状を変える変えないは実はどうでもいいことだ。
われわれは自分の人生とは自分で切り開いて行くものだと、心から信じることができさえすればいいのだ。
けれど、それには自分の身体で学ぶしかない。
自分のボディーは自分だけしか取り廻すことができない、自分で自分の操作をするしかないということは、やってみないと理解できないことだ。
やってみるには、まず一歩、踏み出してみること、それしかない。
彼は職業作家ではないから、自分の家族や自身の体験を離れると筆が鈍る。

彼が言いたかったことは、自分の体験や具体的な問題解決方法ではなくて、抽象的な上記のようなことであったのではないだろうかと想像する。

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ナショナル・シアター・ライブ「夜中に犬に起こった奇妙な事件」@シネリーブル池袋

お芝居を撮影して映画にしたもの。
去年、ロンドンで見たお芝居が映画になるとどうなるのか、確認したくて見に行きました。
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映画は、私の見たバージョンとは違いましたが基本的な脚本や演出は同じで、改めて良くできた素晴らしいお芝居だと感動しました。
そいて、やはりお芝居は生のお芝居を見るほうが数倍よろしいとも思いました。
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このお芝居が素晴らしいのは、有限の中に無限を感じさせるところです。
結局われわれは2つの小さな目玉で見たりした情報を1.5キロ程度の肉の塊であるところの脳を使って処理して世界を認識しているわけですが、そんな情報処理はわれわれを閉じた空間に孤独に閉じ込めているのではないのだ、と気づかせてくれます。
原作が良いのはもちろんなのでしょうが、ごく自然に次元(時間・空間・舞台と観客)を超える脚本が素晴らしいですし、その脚本を目に見える形で舞台に実現させたこの演出の信じられないような巧みさよ、であります。
お芝居を初めて見たときは、どんどん話が展開していくし、英語だし、最前列だったので舞台の上の見えない部分もあって、気づかなかったことがたくさんあったのだと、今回映画を見て判りました。クリストファーと両親が手を合わせるあのコミュニケーションはミケランジェロの「アダムの創造」(ETではない)だから、あんなに貴い感覚があったんだなあとか。
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ジャコメッティ展にも行きましたよ。
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死ぬのに良い日とはいつだろう。
長生きすれば良いとは全く思わないけれど、死ぬことの意味も分からないままに死を経験するのは勿体ない。
あと智慧ではあるけれど、ジャコメティがあの細っこい彫像にたどり着く前に死んでいたら、やっぱり勿体ないと思う。
ああジャコメティね。
存外に感動がなかった。どこかにポーズというか他人の目を意識してこうなった感が私には感じられた。
サージェントの、クライアントのための・クライアントを意識した画、というのとは全く違う種類の意識。
ある種のフランスっぽさが私には合わない。
私自身は、平均余命に達するまであと数十年あるのだけれど、そろそろいいかな、という感覚がある。
ここはとても面白いところだけれど、人生が舞台で我々は役者だとつくづく思う。
そして死はジョーカーのようなものだ。プレイヤーの中に必ずあり続ける厄介な札だけれど、使い方次第では最強。笑

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トランスフォーマー 最後の騎士王

六本木東宝にて。
たぶん満席だったのでは。
4Dで見るつもりだったのだけど、すでに終了していて2Dで鑑賞。
トランスフォーマーはシリーズ5作目らしいが、私はこれが初見。
遊園地のアトラクションのような感覚で楽しめたし、なによりイギリスのシーンが大変に多く、加えて、定番なアメリカ人とイギリス人の悪口合戦の場面が何度もあって嬉しかった。
ヒロインはオックスフォード大学教授で、その自宅はロンドンのジョンソーン博物館(! http://www.soane.org/ 直近の美術館内部が判りやすい https://www.youtube.com/watch?v=HXi1354S778)。
ロンドン中央部でのカーチェイスシーンも結構な長時間。
これはてっきり街を撮影してあとはCGかと思ったら、ワイヤードによると
「驚くべきことにロンドン市街地の撮影では、優秀なスタントドライヴァーが助手席にサー・アンソニー・ホプキンスを乗せ、時速120kmでアドミラルティ・アーチ(ロンドンの歴史的建造物)を突っ切ったという。針の穴にロケットを通すような撮影(しかも2テイク!)に挑む寸前、78歳のアカデミー俳優は「まぁいいか、いい人生だったし」と心の中で諦めた(笑)という。」
とのこと(https://wired.jp/2017/08/03/tf5-imax/)。ほお。
IIMAX用に作っているので、細部まで情報量が多くて、よくできていると感心させられる。
イギリス映画とは違う、アメリカ人にとってのステレオタイプなイギリスという視点で面白かった。

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The chainsmokers 「 Memories」

The chainsmokers のアルバム Memoriesを通して聴いた。
彼らの音源がどのように作成されているのかは知らないし、そもそもそいうった知識は全くないのですが、これはスゴイなと思いました。
非常に考えて作られていて、ウィキによると彼らはトラップに分類されているのだけど、たしかにこのアディクティブな感じはそこを狙ってきているのだと感じます。
上記のリンク先の画像を見てもわかる通り、デジタルな中にアナログを入れ込むのがほんとうにうまい。
このソフィスティケイトされた手法には、単に感覚的な思いつきでやっているのではない(閉じたイメージがない)、意識して先行を研究してやっている感じがありありとあってインテリジェンスを感じさせるというか、そこが(こういうコミュニケーションの手法が)私にとっては心地よいところです。
こういうタイプの音を聞くといつも連想して思い出すのは映画「マトリックス」で、あの未来性あふれたデジタル世界と生の生物のざらついて粘膜に包まれ湿度の高いアナログ感の絶妙さがあの映画の成功の秘訣で、それはキアヌリーブスの個性にかなり由来しているところなのだけど、あれは人類の歴史を3分割する(最初は産業革命で)2つ目の象徴になると個人的には思う(笑。単にキアヌが好きだからね)。
それにしても、こういう音楽って、既存の音源をサンプリングしているのか、だとしたら権利関係がどうなっているのか、興味はあるところなのですが、そういう背景をべつにして、出来上がった音がこんな、まさに人を落とし穴に突き落とすような劇的なトランスのさせ方をするというのが私にとっては驚くことでした。
ここ数年で音楽はまたも劇的に進化したしたのでしょうか?
ところで、違う趣の音だけど、こちらも好き(←クリックすると音、出ます)。



やっとハバーマスの公共性(公共圏)を読んで、なるほどなと思っています。
こういう思想経緯を経たうえでの公共概念とそこにおけるプライバシーの権利という、ほんの少しだけ、遠くに燈明が見えてこの方向で行けばいいのかなという気持ちにはなっています。
具体的なタイトルでいえば法律の勉強なのだけど、やっと始めて世界を知りたいと、ストレートに感じるようになっています。

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The Chainsmokers - Paris

カレー屋ディランのラジオで流れていた。
If we go down
という部分が耳に残り、ググったらこれだった。
 

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神田小川町・カレー「ディラン」

しばしば行くカレー屋さん。
一周まわって落ち着いた感があって、個人的に大変好みです。
行くと必ず音楽かラジオが掛かっていて、それがいい。
店全体にふしぎなアナログさがあるのです。
アンチンボルト展に行ってきました。
知らなかったのですが、夜の9時までやっていて、閉館間際の1時間は良い加減のお客さんの少なさが心地よかったです。
アンチンボルトの、西洋静物画における位置づけが興味深くて良い展示でした。閉じた芸術世界ではない、生々しい部分がリアルに理解できました。
それにしても、最近のミュージアムグッズはどうなんだろう。アンチンボルトの画をプリントした美容のフェイスマスクやロールメモ。際物をこんなに作って、ペイしているのか(売れ残ったらどうなるのか)、心配になりますw。
 

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