Happy New Year

本年もよろしくお願いします。

この休みにHPを1本作ろうと決めいていて、元旦に出来上がって、最後の最後にデータが消えるという、素晴らしい僥倖があった。
同じものを作る気力はなくて、ごくごく簡単なものを作り直して、30分で完成ということになった。
ということで、しょぼーく目的達成して新年が始まった。
今年はこういう方針で行こう。
とりあえず目的達成、しょぼくていいから 笑。
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ミスターロボットも第3シーズンまで全部見たので、もう一度見ようと思ったけど、最初のあの緊張感は当然得ることができず、よくできているとか、そうか、これは伏線だったのかとか思いつつ、モノづくりの方法的な部分を学ぶ。それにしても、このサウンドの使い方は凄い。
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ウィーンフィルの演奏が、久しぶりにクラシックを聴いたら、チョー良くて、心がどろどろと溶けてこれ以上溶けたらやばいとチャンネルをかえたら、ちょうど、どっちが本物?!みたいな番組でオーケストラをどっちがプロのオケでしょうかという場面で2つを聞かせてくれたのは、3段階のオケを聞くことができて面白かった。
アマは技術的にはダメでオケになっていないのだが、日本のプロは音が子供じみていて貧乏くさいので聞くに堪えない。ウィーンフィルは完ぺきなテクと豊饒な音を聞かせてくれる。
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去年、やっと幼年期が終わったように感じた。
それは、アブラハムがモリヤ山に行く前と後のような違いです。
「アブラハムのイサク献供物語」という330ページ余の本があったので、まずはざっと眺めたけど、たぶん要は定説はないし、だれも分かっていないっていう感じ。
哲学なら論理的に深く思考するするのも正しいが、宗教はもっと直観的に説得される部分があって、それがなぜなのか、どうして人はその物語や教義に心奪われるのかを探求して端的に提示すべき。まあ、子供向けに書く必要はないわけで、自転車に乗れない人に自転車の乗り方を言語で説明するのは意味ないけどね。自分で乗れるようになるしかない。
もちろん、宗教を主宰する側は、自己の教義を秘儀にして信者を獲得するという必要があるから、絶対に説明はしないというやり方は正しいのだけどね。
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幼年期が終わって、アートに耽溺しなくなった。
アートの価値がなくなったわけではないし、ウィーンフィルとか見ればやはり素晴らしいとは心底思うけど、アートは世界の部分にしか過ぎないのは、当然だよね。
バンクシーは良くてカイカイキキはダメな理由はそこだ。
理論的根拠は同じところもあるのだけど、バンクシーは明らかに変わっていっていて、成長していて、彼/彼女の社会性がどんどん具体的に力を持って行って、たぶんそれは多くの人の支援があって、ひとつの起爆剤としてバンクシーブランドを機能させたい人がたくさんいるからなのだろう。
要はコミュニケーション能力の有無。
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日本の、とくにビジネスシーンだと、コミュニケーション能力って、飲み屋の接客みたいな、音声が途切れないことだと思われている。もちろんアイスブレイクも必要だけど、それらは本質じゃない。
最近、ビジネスパーソンはMBAじゃなくてアートを学ぶべきだよ、という話があるけど、その話自体が単なる新たなビジネススキームに過ぎないから。でも、悪い方向ではない。私はMBAに行っておけばよかったと最近痛感してるけど。
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とにかく、
コミュニケーション能力というのは、まずは隗から始めよ、ここにある自分自身とコミュニケーションできなきゃだめで、それには「神」なり措定して練習しなきゃダメなのね。
そういうことで、ファイトクラブなりマトリックスなりそしてミスターロボットも人格が分裂したり、パラレルワールドが出現したりで、自己の内部とのコミュを図って、そのうえで外部とコミュできるようになるという構造のストーリーになって、それは人々の共感を呼ぶ。
「不安」というのは内部とのコミュができていない状況。
アートは「神」的に機能する概念。それ以上のものではない、「神」以上のものではない 笑。
神以上ったら、自分そのものしかない、自分は神と同値だから。神を超えはしないけど。
練習は終わったので、措定する「神」ではなくて、客観的な神を探しに行こうと思ってる、そういう新年。

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The Banksy stunt

今年はたくさんの印象的なことがあった。

思うところあって、職場のほとんど全員と、ご飯を食べに行ったりじっくり1人づつ話す機会を持った。
これは意外に得ることが多くて面白いことだった。
結果として仕事のレンジがぐんと広がった。
マレーシアで知人の家族と親しくなれたのは良かった。
など多々、プライベートは満足の1年だった。
世界の出来事でいちばん大きなイベントは、バンクシーの風船少女の裁断の件だ。
サザビーズのオークション会場で、ハンマー音を合図に額縁から縄のれんのようにピラーっと落ちてくるのを最初見たときな意味が解らなかった。
案の定、あの画はほぼ倍の価値を持つようになり、バンクシーは自分のブランド価値を高めつつオークションシステム等の批判を成功させるという、まったくすごいことをやってくれた。
ちょうど画の真ん中あたりで刃がストップし半分ピラピラというのは、バンクシーが言うには「全部切るつもりだったのが失敗した」ということだけど、下記PBSの番組の通りバンクシーは計算して半分っで止めたのだろうな。
ということで、今年も有難うございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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ミスター・ロボットの意味

ボヘミアンラプソディが及第点だったので、ラミ・マレック主演の「ミスター・ロボット」をシーズン2まで見たところ(アマゾンプライム)。

ストーリー自体は、チャック・パラニューク(Chuck Palaniuk)の「ファイトクラブ」そのまま(類似点の詳細はここなど)とそれが成功した後日譚。長い期間を様々なエピソードを折りませながら、描いている内容はもっと普遍性を持った部分までに至っている。
原案・製作のサム・イスマル(Sam Esmail)は、ファイトクラブ(1996年)のストーリはもちろん、パラニュークの実生活をもここに押し込み今日的にアレンジしている。
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世界を変える主人公エリオットは化学薬品を扱うのではなく、PCや携帯電話を操るハッカー。Fight Clubではなく、Fソサエティというハッカーグループを組織して、金融企業Eコープのビルディングではなくデータを消しドルの価値を崩壊させる。
ここまでがファイトクラブと同様の構造でストーリーが進むところ。父性の喪失、強迫観念、ドラッグ、不眠、人格の分離、世界秩序の破壊のための組織化。
このあと、既存通貨が崩壊して社会が混乱するけれど、資本主義はデジタルマネーに移行するだけという現実が現れてくる。
さてどうしようか、というのがシーズン3以降(未見)。
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これはラミ・マレック(Rami Malek)という異形ともいえるエジプト系キリスト教徒の俳優がいたから実現できたストーリーで、マレックはボヘミアンラプソディでフレディを演じるよりずっとナチュラルにフィクションを演じていた。
コンセプトさえマッチョに存在していれば、あとは適切な俳優がいれば面白いドラマができてしまうということなのかもしれない。少なくとも私はストーリーはそれほど気にならない。
気になるのは、なぜこのドラマは緊張感を保っていられるのかということだ。どこからこの力が伝わってくるのか。
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特に延々と続くエリオットの幻覚、にわかにはそれが現実ではないと気づかないシーンもあれば、すぐにこれは幻覚だと解るものもあるが、つまりそれらは単に彼の内心の、必ずしも現実と因果関係のない妄想であって、それをずーっと見ていられる、見ていたいと感じさせるのはどういうことなんだろう。
ここに何らかのリアルがあると感じているから、見ていたいと感じるのか??
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たとえば、マトリックスには影響を受けたとイスマルは言っているけれど、たしかにあの世界観だとバーチャルの方が観客にとってのリアルだからバーチャル部分を熱心に見てしまう(パウロのように世界を新たに見る)のは当然だろう。
それに、バーチャル世界は物理の法則や因果律が支配して人類で共有する構造になっていたから、観客も共感できるストーリーとして成立していた。
そういうマトリックスをすでに知っている観客であっても、ドラッグによる個人の妄想に付き合わされるのはまったく別なのだが、しかしエリオットの幻想には観客を引き込む力がある。エリオットは自分の居場所がわからず困惑しているけれど、幻想の見せ方には迷いがない。
この製作側の自信はどこから来るのか。
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と思っていたら、ファイトクラブのチャック・パラニュークの実生活、彼の祖父・父・本人のを一人の人物として現代に置き換えたらエリオットになるのだと気づいた。
もし、ある小説がとても気に入ったなら、なぜその小説が書かれたのか、作者の人となりや経験してきたことを知りたいと思うのは当然だ。
圧倒的に魅力的な世界の終わり、これまでなかったリアルな世界の終わりのパターンを目にしたとき、その作者パラニュークというリアルの人物の記憶と感覚、それは読者の共感の源となり、そういう人物であれば幻覚にさえも観客は喜んで付き合う気になる、ということだ。
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1962年生まれのパラニュークの実生活は、日本語ウィキからリンクされているいくつかのサイトによると、下記のようなものだ。
まず、祖父。
ウクライナ人の祖父ニック・パラニュークは息子フレッド(チャックの父)が3歳の時、妻を撃ち殺し自分も自殺した、フレッドはベットの下に隠れて助かった。
ニックはクレーンのアームで頭を殴打されてから変になったとも、いや前から暴力的だったという人もいて真実は解らない。いずれにしてもチャックは父方の祖父母を知らない。
チャックの両親は14歳の時に離婚するが、それまではワシントン州のバーバンクでトレーラーハウスに住んでいた。非常に貧しかった。
バーバンクはマンハッタン計画が進められていたハンフォートサイトの隣町で、母は核施設で事務職をしていて(2000年時点)、2009年に死亡。
父は大陸横断鉄道の支線で勤務していたが(ガーディアン紙によると、チャックは子供のころの思い出として、鉄道事故が起きると夜中に家族で現場に出かけて盗みをしたのを鮮明に記憶している。)、離婚後、雑誌の出会い広告で知り合った女性の元夫のストーカーに、女性とともに殺害された。
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ミスターロボットのストーリーになっている要素が、モザイク的にちりばめられている。
頭部の強打と常軌を逸した行動、明らかにならない因果関係、父親の喪失、貧困、川沿いの町、土地の汚染、魚の汚染、巨大組織に勤務する親、ファミリービジネス、他人の物語にもとづく死・・・。
そして、これらからファイトクラブが醸造されたのだという因果関係。
こういう現実を丁寧に取り込んで、そこで動いた感情をやり過ごさずに現代のストーリーに反映させればミスターロボットになる。
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ミスターロボットというタイトルは、人間の自律性とは何なのかという意味なのだろう。
人格の分裂、見えない他者との会話、自律的な決定をしているつもりでも他者や自己のDNAや既知に支配されている。
我々が自律的でないとするならば、対置する概念として自律する存在を措定することができるわけで、それを神という名で呼ぶかはさておき、ミスターロボットは神ともいうべきなにがしかを措定するための対概念と定義できるのかもしれない。
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イスマルは映像も音楽も素晴らしい。
映像は若干やりすぎ感があるけれど、今回はこれでいいのかもしれない。サウンドは本当にセンスがあるとしか言いようがない。このドラマで最も素晴らしいのはサウンドだと思う。映像へのサウンドの合わせ方はハッとさせるものがある。単に私の好みなのか?とにかく素晴らしい。
対して、彼が苦手なのは子供の描き方、それと宗教がやっぱり良くわからないんだよねという感じが伝わってくる。

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グレイヘア

14日付ガーディアン紙に、早晩白髪を隠さなくてよい風潮になるでしょう、みたいな記事が掲載されていて、ちょっと驚いた。
私はとっくにそういう時代になっているのかと思っていたから。
記事には、とくに黒髪の人はたいへんなので、うまくカラーリングでカモフラージュしながら乗り切るしかない、ともあって、そうなのか、とさらに驚く。
ガーディアンの記事冒頭にあるとおり、UKのVOGUE編集者サラ・ハリスやアメリカ生まれのモデル、クリスティン・マクメナミーはたぶん日本でもすごくよく見かけるグレイヘアの著名人だ。
しかし、どうやら彼らはエッジな人らしい。

とすると、もしかすると日本はグレイヘアに最も寛容なのかもしれない、現時点だと。
私はそこそこ若い時期から白髪があって、黒髪は重いという流行りの感覚があったのもあって、なんとなく全体をアッシュっぽい茶色にしていた。
でも、UKでテレサ・メイが首相になって少し経ったときに、これもなんとなく染めるのをやめた。
髪の痛みが気になりだしたのもあるし、年齢も若くはない年になって、まあそろそろいいかな、というのと、おこがましいことではあるけれど、この自分でやってゆくという気持ちを24時間365日貫いてみようという底意もほのかにはあった。
自画自賛で申し訳ないが、結構うまくいったと、およそ1年かけて染めた部分がすっかりなくなってそう思う。
朝の支度のときに、ほとんどいつも「次はいつ染めなきゃいけないかしら」と鏡をのぞき込むということが無くなった。そして、この自分の髪を健康的にしておくためにブラッシングしたりオイルを塗布したりすることの楽しさは、とってもいい感じだ。
職場でも周りの人が慣れて、来客もこの人はこういう人なのね、と思ってくれるようになった、と思っている。
たしかに、服や靴に少しお金はかかるようになった。それはすでに手持ちだった曖昧なテイストのものが似合わなくなって、どこか攻めの部分のある服しか似合わなくなったから。攻めといっても、色や組み合わせを少しだけ挑戦してみるという程度だけど。
さて、ここまで来て、思うのは、白髪にするなら筋トレしないといかん、という点。
何歳であっても筋トレは必要だけど、とくに白髪は姿勢が良くないと似合わないと思うのよね。下半身と背中の筋トレ。
ということで、このブログもそろそろテイストを変えようかと思っている。
乞うご期待??

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ボヘミアンラプソディ

やっと見てきた。
フレディ・マーキュリーの話なんていったら、もう見るのが当然で、有無を言わさず見てきた。
ほぼ予想通りという映画だった。
よくできてはいたけど、画面はあんまり見ないで、頭の中の印象と音声を合体させて見ていた。
だって、ホントのフレディのほうが100倍存在が強烈で、映画で劇的にしてもエッジが弱いなあと感じてしまうのだもの。仕方ないよね。

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ただ、1点気になったのは、この映画すごくエロい。
性行為を直接描いている場面はないけれど、フレディのどうしようもない性への衝動が画面に現れていた。
これは凄いと思ったし、このゆえにこの映画は存在する意味があると思った。
で、なぜこの映画はそんなエロさを獲得できたのだろうか。
役者の演技のうまさではない。エロく演じようとして演じた、というのではない。そういう余裕のあるエロさではない、傷に塩を塗るようなエロさだもの。
これは、フレディという存在が役者に与えたプレッシャーが良い方向に働いて、エロさにつながったのだろうと思う。
このエジプト系の役者ラミマレックを連れてきて、良い方向にプレッシャーをかけたのは誰なのか、もちろんビジネスベースの仕事だろうけど、そこにボックスオフィスとは別に、フレディやクイーンに対する畏敬があったであろうことが感じられる。
そういう大きな規模の真実に向けられたプレッシャーは演技を超えた役者自身のぎりぎりの生を画面に映し出し、それは本作では性的なエロさになって伝わってきたのだろう。
伝えたいパッションが渦巻くという、良い映画のセオリーどおりの良い映画なのだ。

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変化の年

この正月を迎えると、ココログを始めて丸15年になる。
英語圏でホームページとは違う形式の面白い記事がネットに出てくるようになって、これは何かと思っていたら、ブログの創始者シックス・アパートが日本のニフティに来て、ココログがサービスを始めて、それが2003年の12月。
きりのいいところで14年元旦を待って、このブログを始めたのは、そうか15年前なのだな。

最近、世界がすごい速度で変わっているのを感じる。
それはテクノロジの進歩で、変わる速度が速くなって、かつ、それを知るすべがあるから感じられることだろう。
それとは別に、個人的な理由で、とくにここ数か月はあまりに劇的な変化だった。
頭と気持ちがついて行かずに、興奮状態で眠れなくて、こんなに寝ない日々は初めての経験だった(今日は久しぶりに7時間寝た!)。
小さな絶望、比較大きな絶望、そういうこともあったけど、まあ現在のところリカバリできていて、少しはタフになってきたかな、と思ってる。

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考えると、個人的変化については、やっぱり2013年5月のベーコン展が起点だった。
それと、ずっと傍らにあった聖書なんだよね。
要は、私は日本の価値観を信じていないし、いまここの価値観を信じていないので、時空を超えた何かを知りたかった。
ロンドンの空気と空、あそこにいたロシアやブラジルやコロンビアやシリアから来た彼らの運んできた世界の空気に触れて、その何かが何かを抽象的に獲得できて、その後の2年をかけて、やっとそれら何かが具体的に了解できるに至った感じがした。と同時に、リアルな客観的な事象として押し寄せてきて主観が客観で論証されてゆく感じに気持ちが高ぶり眠ることができなかった。

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考えたら、来年は平成が終わる。
オリンピックや民法改正やリーガルテックや、私の周りでリアルが大きく変わり始めている。
そういう、今。

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ボヘミアンラプソディ 「悪態の科学」

最新の予告編を見て、期待通りにちょー緩そう、と思う。
やぱり無理なのよね、クイーンを映画にするなんて。
アイマックスで音メインで見て、リアルのマーキュリーを当てはめて想像で楽しんだほうがよさそう。

書くことないなあ。
これはいいことだと、思っておこう。
リアルが濃厚だから、ブログまで落ちてくるものがない、そういう時期もいいよね、というところで。
今読んでるのは「悪態の科学」。
イギリス人女性の本。
「あなたはなぜ口にしてしまうのか」という副題がついているけど、私の悪態は冒頭のようなものぐらいで、ほんとボキャブラリが貧困。
じつは悪態を覚えようと思っていろいろ本を探したこともある。馬鹿でしょw。
でも、日本語の悪態はクソみたいなものばかりで、というか、クソなんて(ミソクソぐらいしか)話し言葉では使わないし。それは私が品行方正だからではなく、文化としてクソって使わない。言ったとしたら、ハリウッド映画の吹替みたいになるだけ。
本書は、主に英語の悪態の単語が英語と日本語訳とでたくさん書いてある。出版されたばかりなのでほぼリアルタイムな英語の悪態単語が正確に理解できて素晴らしい。
それと、悪態の文化的心理学的背景も分かるし、軽く読める翻訳の仕方になっているので、素敵な息抜き的におすすめできます。
日本語の悪態も収集してみたいなあ。
基地外とか死ねばいいのにとか、ネット用語的になものではなくて、話し言葉のものを、とくに。
あと、ミソクソの語源はやっぱり赤みそ文化圏から発祥しているのか、そこも知りたいわ。
あと、古い本だけど「バーナード・マドフ事件」(2010年)。
ナスダック市場を作った人の要はポンチ詐欺の話だけど、管財人弁護士の報酬が10億ドルだった事件。
ルーク・ドメール「シンキング・マシン」はAIの歴史としては秀逸の読みやすさ。
書いてあることはいい意味で浅く、流れができているから時代の空気感を理解することができる。ここで気になったところを、理系の専門の本を読んで深堀するといいのだろう。
海外のコンテンツは、なんか雰囲気がつかめないことが多くて、とくにこの辺のAI関係はそう。すでに著者にとって当たり前になっていることを、文字として記録することの難しさを思う。たとえば、PCでなにができるか、別の文化の人に説明するのは難しい。
このイギリスの童顔の彼はうまく書いてくれている。
ひとつに、彼の素直な感動が存在していて、きちんと知ろうとしていて、という点が、ほかの人には意外にできていなことだろう。
映画「はじまりのうた」は本当に良かった。
毎日、思い出しては感動している。
こういう映画が世界において成立しているのであれば、私はここで生きて行けると思う。
よろしく、世界。

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原美術館

原美術館に行きました。
とても良かったので、あとで感想を書きます。
まずは。

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「はじまりのうた」

承前。
なんでも受け手の側からの受け止め方でしかないわけだけれど、私はこの映画ではポストキャピタリズムへのリアルで明確な方向性を感じた。
これならいける、と。

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ナイトレー演じる女性は、偶然出会ったプロデューサとともに既存の音楽業界による流通とは違う方法を生み出す。これはネットを使ったよくある資本主義から抜けだす方法で、特に目新しいわけではない。
ただ、彼女がそれを成功させたたのは、要は人のマインドの力なのだと、この映画はささやいている。
大物ラッパーが彼女の音楽を支持するツイートしたから、彼女の存在は世界に知られることになったわけで、このラッパーが本物を見ることができて、マインドを持っている人だったから、ここの部分が映画の展開として成立している(瞬く間にたくさん売れて良かったね、という映画的な展開)。
女性は最初普通に恋人とニューヨークにやって来て、一緒に住んで、彼のアバンチュールに腹を立てたり、まあ型通りの時間を過ごしている。
でも、本物が見つけられずギリギリの部分で生きていたプロデューサに出会って、型通りから脱皮してゆく。
そう、資本主義は「型」なのだ。あまりに自然に存在しているから当然のようにその型通りに生きている私たちだけど、必ずしも型から外れる必要はないにしても、型にとらわれることのない自由さを持っていなければいけないのだ。
女性はプロデューサと明らかに恋に落ちる。プロデューサもすべてを捨てて彼女と過ごそうとする。でも、二人は恋人になることや結婚につながるルートに乗ることは型であって、その型には乗っからない関係性を無言で選択する。
この選択は、精神的にはかなり、かなりツライ。でも、彼らは型にはまって既成の流れに乗っかって安穏と時間を過ごすことをやめたのだ。もっとひりひりする本当の生の時間を生きてい行くことを決めたのだ。本当を見つめて生きることでしか彼らは生きて行けないから。嘘の人生なら、その人生はいらないと、すでにどこかで決めている彼らだから。
映画には描かれていない多くの過去を彼らは経験していて、そこから彼らは強い意欲を持った人になったのだろう。
私は彼らは本当に正しいと思う。
この映画の監督は、「ダブリンの街角で」でも本作と同じように型にはめないストーリーを描こうとしていた。そしてそれは成功していたけど、まるで、偶然のような、はかない感じだった。
でも本作は違う。とても力強い。
そういうことで、私はこの映画を100%支持する。
ただのイギリスマインドが好きなだけかもしれないけどね。
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資本主義の次に行くことは、以前から思っていたのだけど、要は産業革命みたいな、一つの革命になるのだろう。
では前の産業革命は一体なぜ成功したのか。
私が思うには先立って農業の生産性が上がって、食料の余剰が生じたことが、最も重要なファクターだと思う。そこで初めて都市が形成できることになる。
とすると、一番の謎は、なぜ農業の生産性が上がったのか、だった。
なだらかに向上してきたのではない、勃興する力があったからそこから産業革命に連なったのではないかと考えていた。
この予想は当たっていたみたいだよ。
これはまた後日。

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ジョン・カーニー「はじまりのうた」

ダブリンの街角で、と、シングストリートを見ていたので、同じ監督の本作も迷わず視聴。
時系列としては、ダブリン→はじまり→シングの順だけど、これはダブリンとシングを足して2乗したような内容。
すごいいい。
キーラナイトレーの歯並びの悪さが、やっぱり素敵。
登場人物のファッションも好き。
何より、ポスト資本主義の雰囲気がいい。
ちょうどポールメイソン「ポスト・キャピタリズム」を読んでいて、本のほうは日本語訳が酷いみたいでよくわかんないのだけど、この映画はとても解りやすい。
ポスト資本主義が何なのかはおぼろげながらも見えているとしても、それが成立するにはどうすればいいのか。
DONOTPAYとこの映画を見てわかったけど、本物が認識できることが要件みたい。
自分のやるべきことが認識できて、それを形にして生み出すことができること。大量生産に飲み込まれずに、自分の目で世界を見る力。正しいことが分かっているから、他人を信じることもできる。他人を信じることができるなら、特別な家族や恋人やそういう既成の関係性に縛られることもない。
もちろんポスト資本主義を論じるには経済学の分野も重要だろうけど、最も大事なのは人のマインド。時代の雰囲気。
この映画はポスト資本主義の鍵になるのはキリスト教かもと思っているのだろう。
キーラナイトレーの演技は的確だった。お仕着せの関係性ではない、自分自身の人間関係を営んで行くことを能動的に選択する姿は美しい。
こんな100%同意できる映画を見ることができたのは僥倖だわね。
細かいとこも、すごく良かった。
主人公の音楽プロデューサーがジャガーの古いのに乗ってるのが良くて、そういう感性の彼だから、イギリスから来た女性(ナイトレー)のギターの最初の出だしで引き込まれてしまう。
そのイギリス女性と恋人、そして友達の男性3人はともにブリストル大学での友達で、ニューヨークに音楽をやりに来ているのだけど、ブリストル大学の自殺率は有名で、だから、主人公の女性の最初の歌が自殺を歌っていたのも、彼女にとっては自殺は身近だからなんだろうなと感じた。
そしてさすがだと思ったのは、音楽事務所のオフィスのシーンが何度か出てくるのだけど、うまい具合に耳障りになるように電話のコール音が鳴っている。低い音量だけど、巧みに耳障りになる音。ゴージャスでクールなオフィスを視覚では見せつつ、サウンドで辟易させる。若干サブリミナル的に、うまいわ。
そんなこんな、ミクロもマクロもいい映画だったわ。

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«松原望「ベイズの誓い ベイズ統計学はAIの夢を見る」聖学院大学出版会