元旦

新年を迎えた。
大晦日には前教皇が亡くなった。
収拾がつかなくなって生前退位した教皇であったけれど、感銘を受けた言葉もあった。
12月にアメリカ人ダンサーのトゥイッチも死んだ。
ずっと鬱病だったのだそうだ。
日常は何気ないことの積み重ねであるべきで、命のことばかり考えているのは良くない。
とはいえ、何が正しくて何が間違っているのか、本当にわからない今日この頃。

今年はすでにいくつか見たい映画がある。
ビル・ナイ主演「リビング」、ミッシェル・ヨー主演の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」など。
この2本はすでに海外では公開されていて、評価もとても高い。

年末

いつも以上に年末感のない年末。
新年のお祝いをしないので、特別の買い物もしない。鍋の用意ぐらい。
静かで、気持ちも安定している。

親たちの様子を見ていて、興味深い点がいくつかあった。

9月時点、母はレビー小体型認知症でドネペジル10mgを服用していた。
妄想もあったし、たぶんレビー小体型で間違いないと思うが、暴言や暴力も多かった。
認知症専門施設に緊急受入れしてもらって、そのまま長期でお世話になることになり、その際に薬を変えた。
新しい薬メマンチン(メマリ)の効果は顕著だった。
暴言等がなくなったばかりか、時々は本当に幸せそうな笑顔さえ見せてくれた。
映画やお芝居でしか見たことのない「可愛いおばあちゃん」そのものの笑顔で、私たち家族が始めてみる母だった。
薬を変えるときには、メマンチンは感情の起伏を低下させるので、暴言等「怒」が少なくなる反面、「喜」も低下する可能性を覚悟してください、と言われていたが、とにかく一時的にも母は最高の人格を見せてくれた。
この人格や表情はどこからきたのだろうか、
そもそも母はこういう側面を持っている人だったのだろうか。
介護職員の誠意に感化されたのかもしれないし、ただ、父と離れたことも大きな要因のように思える。

父は認知能力はそれほど低下しておらず、むしろ悪知恵は働くほうで、典型的なワガママな老人の生活を送っている。
入院するたび、かならずナースやドクターからの苦言がある。
彼は、東証プライム企業の黎明期に入社し、高度経済成長を謳歌した典型的ともいえる日本のサラリーマンだった。

飛躍ありすぎなのだけれど、手短に言えば、これから日本は変わってゆけるのかもしれないと感じている。
介護の現場の人々には本当に頭が下がるし、有能な人が多い。
介護離職を減らそうという政府なりの動きは間違ってはいないのだろうけれど、経済より介護を選ぶ人の感覚は判るようになった。生産性が低かったりブラックだったり、そんな職場で時間を費やすよりも、目の前の生身の人間の生命を守るほうが大切だと思える感覚は正しいと思う。

次に行こう

さて、実父母の介護や手続きが続く中、義理の親が東北で入院し亡くなった。
東京を挟んだ1,000余キロ、往復の日々。

不安や恐怖はないけれど、うっすらした怒りと、疲労が蓄積しているのを実感する。
疲労は精神をやや異常にさせる、非日常なテンション。
この2か月でくるりと一周した感じがしつつも、もう前いた日常には戻れないし、戻るべきではないとも考える。
どこに行こうかな、と考えている。脳の疲労を回復させつつ、行き場を探す。

以前より活字が読めるようになっている。
仕事等のために必要な部分を選んで読むことしかできない状況だったのが、一文字一文字をたどって読むことができる。
読書というより孤独に浸る時間が尊いのかな。
寂しさの感覚が失せた。
時間の流れを感じることが楽しい。

 

最近まで私が一番恐れていたのは、自分の両親だった。
ぎりぎり2人で地方都市で暮らしているものの、彼らが自活できなくなった時については想像もできない恐怖だった。
いわゆる介護も厳しいのだが、彼らと対面することは私たち子どもにとってトラウマを直視することだったからだ。

さて、その恐怖の大魔王が、最悪の形で降ってきたのが9月の台風の日だった。
夜中の2時すぎ、警察と病院と地方行政から矢継ぎ早の電話が入り、そこから眠ることができない、食欲が失われた日々が続いた。
妹は、行為能力のないしかし妄想と暴言は吐くという両親に、「私は無理」と早々に退却した。
たしかに両親は病院や行政サービスにおいても格別手間のかかる対象らしく、苦情ともいえる要請の電話が続く。
警察も行政も医療機関も、過分に手を尽くしてくれているのは承知していたので、求められたことにはすべて対応しつつ、手続きの履践、支払いの算段、口出しだけする親戚への対応、近隣への挨拶、細かいことでは新聞を止めるなど、漏れがないようタスクをこなしていった。

実際、まだ作業中で、適宜に新しいタスクも追加される。
ただ、臨戦態勢の段階ではなくなったし、周りも私が後方に下がることを許容してくれた。
最初の3日は苛烈だった、3週間は非日常だった、それ以降は意識的にリカバリをする余裕ができた。
臨戦態勢の時は、
眠れない、食欲がない、血圧が20位上昇、下痢、記憶力の低下、ネガティブ思考、体臭の変化、があった。

両親の住む地方都市に向かう新幹線車中で、イサクの燔祭の物語を反芻した。

婆になるために生まれてきた

私は今年60歳だ。
髪も染めていないから、老婆というかかなりヤバい人物になっているのは自覚している。
(リア王の魔女とかは何歳を想定していたのだろう、お菓子の家に住んでいる人食い魔女は?)
若い時からあんまり体も心も強くなかったので、39歳までは頑張って生きよう、と思っていた。
そして、人間は体質など変わるらしいので、39歳をやり過ごせたら72歳まで生きられると思っていた。
なぜ39なのか、なぜ72なのか、それは自分でも知らない。
とにかく、あと12年ある、と想定できる。よね?

なってみたら、婆は最強だった。
トランプのジョーカーがババと呼ばれるように、ババは厄介で押し付けあう存在だけど(ババ抜きとか)最強にもなる、という。
私の趣味嗜好は変わっているので、この価値判断は一般的ではない。
ただ、人がなりたいようになるには時間がかかる、ということだけは本当だと思う。
自転車に乗れるようになるのに少しは時間がかかるように、病気の回復に相応の日数がかかるように。

死が誰にも訪れることが理解できるようになるには、ある程度の死の周辺情報を仕入れる必要がある。
生(せい)の自分にとっての望ましい姿が見えてくるのにも、結構な情報の堆積が必要だ。

一通りの情報収取をしてファイルに分類して、さてそれを読み込んで付箋を貼り書き込みして思索してゆく、ということになるわけだけど、この段階でいったん、私はキルケゴールが言うところの死に至る病に罹患してしまった。
ファイルの数が多いし、日々増えるし、読みたくない部分があまりに多いから。
加えて。荒れ野の悪魔のようなものが、高いビルにいると窓の外に引き寄せようとするし、列車が入ってくるときには線路に立たせようとする。
いやいや、それをすると死んじゃうし、でも、別に、今死んでもいいよね。
そこに第三の意志もかぶさってきて、「いやー、死にたくないのに死ぬ行為に強く引き寄せられるのは、オカルト的でたいへん興味深い精神構造だ。これは記憶にとどめておかないと。」、この第三の意志が決定的な役割を果たしたような気がする。

この第三の意志がストア派のいうところの「自由」のような気がしている。
ソクラテスやエピクテトスが著作を持たなかったのは、ここの概念を文字では伝えることができないと思ったからかもしれない。
ただ、いわゆるニーバーの祈りの言葉にはこの自由を希求する意欲が顕れていて、広く共有されるべくアイコンは示されている。

既視感

職場で、安倍が撃たれたことを知り、そして、犯人確保の瞬間の写真を見たとき、既視感のようなものがあった。

そんなほのかな感覚は現実への対応に紛れていたのだけど、数日経って、「ときめきに死す」だと思った、丸山健二の小説。

地方都市、選挙、大物、駅前、夏、テロリズム。

丸山の小説は一筋縄ではゆかないストーリー展開で、むしろ現実の山上のほうがフィクションのように出来すぎている。

素材が似ている、ということなのだが、私が既視感を覚えたのはたぶんその質量だと思う。

小説は森田芳光監督で映画化もされていて、沢田研二や樋口可南子などの配役が印象に残る作だった。これは原作とはかなり違う内容で、重量よりむしろ軽ろみを感じさせた(結末に意外性がある点は同じだったが)。

小説のほうは、地味な普通の描写なのに冒頭から読者を刮目させる暴力的な力がある。論理とは次元の違う力。AIに小説が書けるか、という企画があったように思うけど、こういうたぐいの文章は絶対に無理だろう。

小説自体は底知れない質量をたたえているものの、登場するテロリストは寡黙な健気さのある青年だ。

青年は浅薄ではない、けれども世界の底知れなさに立ち向かえるほどの力はなく、世界は彼をあっさりと犠牲にする。

世界が青年の返り血を浴びたのか、小説では描かれない。

ゲルハルト・リヒター展、チ。

混雑するだろうと思ったので、会期始まってすぐの平日に行ってきた。
悪くはないけど、そこまで凄くもない。
当事者性の希薄さ。良い加減のわかりやすさ。
アートはますます

むしろ、「チ。」が第8集で終わったことの方が重要。
主人公がいないという、すごいストーリー。
終わり方も失望させないものだった。

絶望しつつ楽しい、というおかしな日常がもう少し続いてくれますように。
わが亡き後に洪水よ来たれ、ではない。
私は洪水のカオスを見てから死にたい。

テロリズムと民主主義

安倍晋三はかわいそうだ。
立ちすくむばかりで義務を果たさない人々の犠牲になったという意味で。

山上がやったことはテロなのだが、
それは経済至上主義という思想への暴力的な反撃としてであって、政治家サイドが言うような、言論の自由や民主主義への脅威には至っていない。
テロは国家システムからすれば悪であるものの、日本社会の営利企業的統制の負の側面を指摘した南ドイツ新聞の解説には強い共感を覚える。

ちょうど、1か月前ぐらいから、私は自分の気持ちを変えた。
単なる感情だけでも発露させて言語で伝えようと思ったのだった。
ゴミ収取車の作業員は美しい黙礼を返してくれた。
小雨のなか、傘を開かず登校する小学生は、強がった口調で、私を微笑ませてくれた。

日本人は営利企業的統制のなかでおびえている。
今いるここから排除されたら存在できる場所がないと思い込んでいる。
たしかに人はいつか死ぬけれど、それは避けられず、未知だからと言って過度に恐れるのは間違っている、
そういう価値観を身に着けないまま、つまりおびえることで統制されやすい性質を身に着けることが奨励される社会に生きている。

民主主義は価値相対主義に立脚している。
つまり価値相対主義のつらさに耐えられる存在が、尊厳を有する個人として措定され、民主主義を成立させる。
おびえて立ちすくむばかりの存在では前に進めない。

無邪気な時代、その後

私の言うところの自身の「無邪気な時代」が終わって、まだ1年は経っていない。
その後はどうかというと。

濱口監督の「寝ても覚めても」の朝子と亮平。
ラストシーンの後、彼らのストーリーはどのように展開したと、映画を見た人は思うのだろうか。
私には、彼らが逞しく生きてゆくように思えた。
3.11で東京に住んでいる自分たちが何をしていいのかわからないまま、取り合えずの行動をしたりしていた彼ら。
どこかに不安を抱えながら、生きていた彼ら。
そんな彼らは、自分の手で今を自覚的に掴みとることで、予測できない未来を不安として捉えずに生きることを学んだ。
最も大切なものを失うかもしれない・・・、しかし、その不安が実現したとしても現実をなんとか主体的に受け止めるしかないのだ、と理解してしまえば、われわれは人として生きてゆくことができる。

私はイザクの燔祭はそういう物語なのだと考えている。
私はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないのだけれど、アブラハムの血筋の者なのだとは感じている。

生きるのはたいへん

子供のころ、幸せだったかといえば全くそんなことは無い。
幼い時代にも、不幸の種は存在していて、
ただ、こちらの理解力が不十分だったからそうと感じなかったのと、
世界を見たいように見るというバイアスが今より強かった。

たぶん子供は生き残るために、どこかが鈍くて、適応能力全般が高いのだろう。

あの時代を生き抜いたから、今、私は生きている。

最近、国際的な受賞が報道された各々別の映画の別々の日本人監督、
まったく別個の2本のインタビューを見たのだが、2人がともに話題にしていたのが「相模原の事件」だった。
あの事件に衝撃を受けて映画を撮ったのだと。
死んでもいい命などない、のだと。
2人は語っていた。

インタビューを見ていて、骨の髄まで偽善が沁み込んでいるのだなあ、と思った。
たしかに、人が人の命を奪うことは浅ましい。
しかし、
「命は存在するだけで美しいのか」
あの事件の本質は、それが殺害された側の命の価値の問題ではなく、殺害した側の命の認識の問題というところだ。
カルネアデスのケースで板を奪われた者が死ぬのとは問題が異なるのだ。
彼が全体主義的な価値観に極度に追い込まれたのは、全体というフィクションに効率性という機能で参加する、
そのような単純な構造でしか彼は世界を認識することができなかったから、
命という機能概念でない対象を理解することができなかったからだ。
他人を実際に殺害するのは、その内心の発露にすぎない。
「なぜ、人は人を殺してはいけないのですか」とドヤ顔でオトナに質問するそういう内心の延長。
すっごい単純な論理でしか世界を認識ができない内心。
我々は皆、浅ましいカインの末裔なのだし。

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