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2011年11月

日比谷図書館 その2

平日は夜の10時までやっている日比谷図書館。
ただ、1階のカフェや本屋は午後7時まで。
この1階がなかなか素敵なので、早い時間帯に行ってみるがお薦め。

カフェは売店にならぶお菓子が目を引きます。
結構な種類がそろっていて、どれも輸入もの。お値段も相応なのですが、見た目のオシャレ感で買ってしまいたくなります。

文具もちょっと凝っていますが、なるほどという程度でしょうか。

最も面白いのは本屋です。
丸善が入っていると表示されているのですが、実は内容はジュンク堂、領収書もジュンク堂。
わずかなスペースですが、「東京」とか「図書館」とかいったテーマの本が弧をえがいた本棚に並んでいるのは、マニアックな気持ちが刺激されて面白いです。
それと、壁には著名人が以前池袋ジュンク堂でタナを持った時の一部が再現されています。当該著名人の著作とその人が選んだ本。
10人近くのタナがならんでいたけど、どういう基準で人選しているのか、なんかマイナー基調でナローな本がならんでるのが素敵です。
なかでも個人的にはいがらしみきお書店がうれしかった。いがらしみきおに関しては、東京で最も充実した棚ではないかと。

ということで日比谷図書館はなんかいいですよ。

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サードマン現象と物語のちから

サードマン現象について教育テレビでやっていた(地球ドラマチック 11月19日)。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の『サードマン現象』」 という本も著名。
サードマンといっても第三の男ではなくて第三者です。
誰かいる!、生存の危機に瀕した際に自己以外の第三者の存在を感じる、という現象なのですが、それによってサバイバーとなった人が大勢いる、といわれています。
原因は現在のところ不明とのこと。

こういう現象、オカルトとか脳のいたずら的に軽く認識することもありだけど、私は子供のころから不思議関係が好きで、いろいろ考えを巡らしてしまいます。
ずっと考えていたのは「物語のちから」というものとサードマンが関係ありそうだなということ。
どの文明でも、文字があってもなくても、物語が存在するようです。ご飯の種にならない類のものであっても大切に、もしくは何らかの権威を帯びて強制的に伝承されていることもある、というのはなぜなのでしょうか。
そして、個々人のレベルでも、幼い子供がお話を聞きたがる、もしくは何度も同じお話をねだるのはどういう本能なのでしょうか。
物語とは、たんなる文化承継や知的好奇心を超えて不可欠な存在としてあるのではないか、そういうふうに感じます。

いろいろ考えてたけど、ブログとしてはこれだけということで。

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ガンジー

ムットさんの料理教室。マハトマ・ガンジー・スペシャルを習ってきた。
ムットさんが毎年ガンジーの誕生日を記念して10月初めに出しているメニュー(ただし、大根カレーは教室ではバターチキンカレーに変更している)。
料理の方はまた後日ということで、当日早めに行ってムットさんに聞いたガンジーの話。

ガンジーはインド人にとって特別な人、ということだ。
ガンジーはインド人の心の中にいる、と。年寄りも若い人もみんなそう。

――でも、いまインドは経済的にどんどん発展していて、変わってきているのではないですか。

たしかに、変わってきている。
いまインドの6割は昔のような大家族ではなくなった。
昔は大家族で、争ってはいけない、喧嘩してはいけない、というガンジーの教えは生活の中で生きていた。
でも、今は結婚したら子供たちは家族から独立する。それはそうやって生きてゆけるだけの経済生活が営めるようになったから。
とはいえガンジーの思想はまだ生きている。
私はガンジー知らない。私が生まれた時にはガンジーはすでに死んでいた。でも、父はガンジーの時代を生きていて、その父に話を聞いているし学校でもならったから私の心の中にはガンジーがいる。

――これから将来はどうでしょう。

将来はわからない。変わるかもしれない。
ところで、私はガンジーよりマザーテレサの方に惹かれる。彼女の目の前にいる人を助けるという行為は素晴らしいじゃないか。

・・・そっか、ほんのほんのちょっとだけ判った。
そしてインドも変わってゆくんだなあ。
話を聞いて、ムットさんの料理を作る姿をみていたら、ムットさんのお店がひとつの教会のようにも見えてきた。
日本に来て17年ということだけど、きっと苦労されたんだろうなあと、なんだかすごいなあとしみじみ感じてしまった。

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友人宅でカレーを作る!

お友達のおうちでカレーを作りました。
マサラムービーを見ながら、ワイワイ3種のカレーとチャパティができました。
もう超~美味しかった。
でもこれはカレー自体の美味しさというよりも、素敵なおうちの雰囲気や気持ちのよい友達の波動みたいなのが入ってるから美味しい・・・ような気がしました。愛情が第三のスパイス、みたいな?
ああ、ますますカレーにはまりそうな予感・・・。
よろしくて?

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ヨーガはじめて1ヶ月、立つって・・・

教室に行くようになってひと月経ちました。
ヨガの知識なく、アーサナという言葉も初めて聞いたという超初心者が感想をば。

週に1回の教室、その間、自宅で3~4回なんとなく復習をしてみる程度ですが、顕著な効能を感じます。
一番の点は、とりあえず立つ感覚がわかってきたこと。
最初、ただ立つということができなかったのです・・・(立つってターダアーサナと言うらしいです)。
もちろん、2本の足で起立すること自体はできるんだけど、どうもこれがいけてない感が以前からあって、というのは、ふわふわしてる、っていうのでしょうか、大地にすっくりと立つという感覚が持てていませんでした。
筋力がないからかな、姿勢が悪いからかなと、昔からずーっと考えていて、筋肉つけたり、バレエのバーレッスンをやったりしてみたのですが、どうも腑に落ちませんでした。
でも、ヨガをやるとそれが少しづつどんどんわかってきて体が落ち着く感があります。立つということは多分こういうことだろうと方向が見えている感じです。
それから、使いたかった筋肉が使えてることが嬉しいです。
これはヨガの効能というより、教室で形(かた)を学んでいるからだと思いますが、やっぱり自分の身体とはいえ判らないことは多くて、特定の筋肉を意識的に使うことができるのは嬉しいことです。
筋肉への刺激としても、スロトレは毎日継続してるのだけど、それよりも効果がある感じさえします。
ヨーガ、考えてイメージして体を動かすの、楽しいですね。

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会計偽装というより魂の悪辣さの問題かと

件のオリンパス。

(中略)

以下、浦部先生の文章(2010年6月17日)からの引用。

「・・・これは、言いかえれば、将来を担う人材の育成ということに、国や社会がほとんど関心をもっていないということである。こうして、高等教育を受けるのはもっぱら個人的な利益のためとする受けとめ方が一般的となり、そのために、高等教育を受けた「エリート」たちが、自分の個人的な利益を拡大することばかりに一生懸命で、社会公共のために尽くすという「エリート」としての本分を忘れてしまうことになっているのではないかと思われる。そして、そのことが、さまざまな分野で「本物のプロフェッショナル」の不在という現象を招いているように思うのである。いまの日本社会の閉塞状況は、このことも1つの大きな要因となっていると思う。」

しかり。

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よし!

何がヨシなのか(笑)。
昨日のランチが美味しかったというだけのハナシ。

神田駅近くのビストロ「マルサンヌ」に行った。
まずはランチということで、混雑を避けられるであろう午後1時15分のラストオーダー直前に滑り込む。それでも5分ほど席が空くのを待ちましたが。

前菜と主菜をそれぞれ選んでお茶がつく、プレフィックスタイプ。
どうやらキッシュ+ハンバーグのチョイスをする人が多いようだが、そこはワタクシめ、裏を張ってタコのマリネ+秋鮭に紅茶をセレクト(たんに年寄りバージョン)。
タコは当然蒸してると思っていたら、生。付け合わせのサニーレタスがドレッシングがかかっていないようで実はしっかり味が付けられている見事さ。
鮭の皿は、マスタードのやや和風のソース(白みそ?)、それに蒸した根野菜。
鮭も美味しいけど、ソースも良くて、何より野菜が美味しかった。
紅茶もノーマルなのにアラマ美味しい、パンも褐色なのだけどムゥッチリ。
ライトなランチでこんなエッジィな経験は久しぶり、いや初めて?
あきらかに、気持ちと手間がかかっている。しかもバシッと清潔感のある。

ラストオーダーの時間が早めなわけが良く判った。

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カレーを皆で作る!

カレー教室ではない、大勢で作って食べるイベントに参加してきました。
朝の9時半から主催者の方の指示に従って10数種のメニューを作り、26人で豪華ランチミールスをいただきました。
しみじみと美味しく、うひゃひゃと楽しかったです!

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皆さんみごとな包丁さばきで段取りも良く、あれよあれよと料理が出来上がってゆきます。
初参加の人も多い中、あまりに素晴らしいチームワーク!
南インド料理が好きということのみが共通項で、性別も年齢もいろいろな人が、こんなに楽しくひとつの目的に向かって動けるなんて。
作るのが面白い、食べてとっても美味しい、ということももちろんですが、その場の空気が居心地良かったです。
ああ楽しかった。

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千代田区立日比谷図書館

先週4日、都立から千代田区立の図書館に模様替えして再オープンしました。
約10万冊が開架されていて、いろんなテーマで本を展示したり、書籍とは格別関係なく北欧の写真や国々が紹介されているまるで高校の学園祭みたいな可愛らしいコーナーも作ってあったり。
人がとても少なかったからかもしれませんが(たぶんこれは大きい)、とっても好印象!
なるべくお金をかけずに本を楽しむ空間を作っていくれている感じがします。スタッフの人たちも不慣れながらも楽しげで。
丸善のレストランも入って、ライブラリーショップもあって、そしてもちろん図書館を出ればそこは日比谷公園・・・ああ素敵です。
都立図書館の頃は、いかにも公立図書館というカビ臭いイメージがあったけど、区立は頑張ってる感が見えて期待できそうですよ。

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そろそろ動くとき

有楽町に行ったら日の丸やTPP反対のカードを持った人が数人いた。帰ってテレビを見たら、大規模な集会があったのだと報道していた。
また、NHKの調査だと、原発反対派は3分の2を占めるらしい。けど、政治的にはそういう方向性はない。
ちょっと前までの政治不信とか政治的無関心という雰囲気にかわって、いまは明らかに能動的な感情になっているよね。
アメリカではOWS(ウオールストリートを占拠せよ)が直接民主制をとってひとつの有機体のように存在しているらしい(現地レポート ←画像リンクとか膨大)。ジャスミン革命系の新しい形が実現しているのかもしれない。
リンク先のご紹介まで。

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ほうれんそうカレー

冷蔵庫を見たらホウレンソウがあったので、ホウレンソウのあのグリーンのペースト状のカレーを作りました。(また画像なしです)
レシピが手元になく、トマト、カッテージチーズの代わりに厚揚げ、カルダモン、クミン、カイエンペパー、塩、ココナッツミルク、ガラムマサラで適当に作ったら、見た目は100%お店のサグ・カレー(と日本では一般にホウレンソウカレーをこう呼んでいるけど、サグはホウレンソウの意味ではないらしい)。ま、ホウレンソウがペースト状になってれば何したって見た目はそうなるんだけどね。
ただ、炒め方が足りず、かつ、塩が決定的に少なくて味が薄かった・・・。やっぱり、最後にちょっと味見して味を調えるべきでしょう(笑)。
ちなみに、ホウレンソウは1人1把使いました。
サグチキンにして鶏肉をたくさん入れる場合には4分の1把ぐらいでいいのですが、ほとんどホウレンソウだけの場合は1把弱は必要なようです。
葉緑素摂取したぁ~、って感じだよ。

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ユーロジ

ジョブズの妹Mona Simpsonのユーロジ。泣いた。(日本語訳
Mona Simpsonは作家だとは聞いていたけれど、アメリカ屈指の地位を得ていて(大好きな)スーザン・サランドンの「地上より何処かで」の原作も書いていたのだった。
こんな簡単な文章でこれほど感動させるなんてすごいと思う、読み手たる私がジョブズに関心をもっているからとはいえ。Monaの、伝えたいという気持ちが強烈だからだろう。
ジョブズについてはいろんな表現がされているけれど、このユーロジで彼の評価は決まった。彼は死を成し遂げた人なのだ。

関係ないけど、自分で作ったお弁当はどうして満足感が高いのだろう。
自分の好きなように、野菜をたっくさんいれて果物もめいっぱいに出来るからかな。
量的には外食ほど多くないし油も使わない、しかも貧しい食材(笑)なのにこれでよしとなるのは、不思議で素敵なことだ。

前に読んだ「インドの衝撃」で、インドの田舎は確かに貧しいけれどある種の幸福感があって、いったい彼らは単純な経済成長の方向に向かうだろうか、的なことが書かれていた。
それにはつまり、インドはあまりに多様で今後がわからない、という部分と、これまで急成長してきた国々とはちょっと違うパターンかも、という部分があるようだ。
たしかに、インドは独立の際にガンジーの思想を取り入れつつも、ガンジーを政治自体からは排しまた結局軍隊も持っているわけで、そこだけでも西洋合理思想でははかれない部分がある(ガンジーについてインドの普通の人はどう感じているのか、こんどムットさんに聞いてみようと思う)。
いずれにしても、
20年ぐらい前か、ラビ・バトラが次はアジアの時代が来て西洋ではなく東洋の思想が世界の主流になる、みたいなことを言っていたのだが、当時はそういう片鱗はなくて、でもその言葉は私の深いところに落ちて行ってその後の私を規定していった感がある昨今。

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