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2016年12月

ダリ展、禅展

半月前に見に行って、すでに何を見たのか忘れている。
ダリは本当に天才なんだなあ、と思ったけれど、これをお金を出して買いたいかと問われればノーサンキューと答えるだろうというところ。
脳の中のかゆいところに手が届く感じの画は、「ダリの時代」には鮮やかに見えた。でも、いまやCGで何でもできて、ダリ的な画面も飽きるほどに私たちは見てしまっていて、本家のダリを見てももうそこにアートといえるほどの力を感じない。
単に好き嫌いの問題なのか?
上の動画は会場でも流していたもの。ディズニーとダリ。ステキな出会いw。

東博の禅展、青磁のお茶碗が見たくて行ってきました。
銘「鎹(かすがい)」は愛知県のマスプロ美術館の所蔵で、ずっと見たいと思いつつ、気づいたら10年ぐらい経ってしまっていたのでした。
本展示の最後のほうにケースの端に置かれていた鎹は、繊細に美しくヒビも綺麗に入っていて、全体として深い趣があったような気がしました。
写真では東博の持っている馬蝗絆(バコーハン)よりもずっと良さそうに見ていたのですが、リアルでも鎹のほうが上品でまさに命名のとおりのように思えました。
そもそものお茶碗の形状が最も大事とはいえ、これらの青磁の場合には、そのひびの入り方と修復のされ方、そして伝来の経緯が相まっていまのお茶碗の姿を作っているわけで、2つを並べた展示でその違いを確かめていみたいものです(本展示のマスコミ向け記者会見でも並べて見せたらしいのに、なぜ会場では展示してくれないのか・・・?)
禅展全体については、あまりに展示数が多いと感じました。

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国立西洋美術館「クラーナハ展」

クラーナハの画というよりも、クラーナハという人とその時代の雰囲気、そして西洋美術館の演出の仕方とかが興味深い展示でした。

クラーナハの画自体は諸星大二郎に似ていると思いました。
女性の表情や姿勢、画面全体の作り方、観る者との距離感の取り方、といったところが諸星っぽい。
諸星は日常のなかの不安を捉えるのがうまいのですが、クラーナハは聖書や歴史の中のエロスを捉えるのがうまい。どちらも表面的に見えている部分から一歩内側をのぞき込もうとしていて、さらに、両者、画の中の登場人物が観るものにアイコンタクトしてきたりして共感を持たせる画面作りができる。
諸星大二郎がクラーナハや中世・ルネサンス絵画を学んでいるということもありうるのですが、この相似性は自然発露なのだろうと思います。
基本に画の技量があって、そこに超自然的題材と観る側の大衆化という時代背景が関係しているのではないかと感じます。

本展覧会のポスターになっているユディットは修復後の初公開ということでした。
たしかに、以前の画像を見ると髪の毛がパッサパサのすすけたユディットでしたが、今回来日した彼女の髪は光輝いていて若々しさがありました。
修復技術、すごいですね。

来年はルターの「95論題」が公開されて500年の節目にあたるということで、500年というのをキャッチーに使っていますが、クラーナハと500年は直接関係ないです。
およそざっくり半千年紀前の画ですよ、という意味しかありません。

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