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ヴィクトル・ストイキツァ「影の歴史」平凡社

ストイキツアは面白い。
圧倒的な情報量が思考を豊かに自由にし、読み物としてちょうど良い頃合いのポジティヴな明るさにつながっている。
そんな明るで、「影の歴史」(A Short HIstory of The Shadow 1997)は絵画作品(写真やその他もいくつか含まれているが)における影の描かれ方とその意味を述べている。

見ることは光を感得することだから、絵も写真も光があってこそ成立する。
しかし、光には波長と別に強弱があり、また、光源が遮られれば遮蔽物の形に倣った影がおちる。
光の弱さや欠落は対象物の存在自体とは関係がないけれど、光で・視覚で認識することをデフォルトとしている世界においては、光の存在こそが対象物の存在として認識されやすい。
そういった人々の認識をベースに、絵画作品のなかに描かれた影に託された意図を探ってゆく。

キリコの例の「街路の憂鬱と神秘」やボルタンスキーの影絵、デュシャンの手法、悪魔に影を売った男の話の挿絵等々、古今の様々な作品が述べられてゆくのだけれども、私が最も興味深かったのはなんといっても印象派の部分だ。
ルノワールの「デザール橋・パリ」の下部に描かれた影は「絵画外の世界から絵画の領域内への侵入を示す」ようなものと分析され、モネが睡蓮を「水と反射の風景」と手紙で記していることにつながり、ナルキッソ神話に循環するのだが、自己投影の絵画史的再帰は自己愛ではなく世界への愛情だと述べられる。

Photo

印象派に関しては、本書全体350ページのなかの9ページ分でしかない。
ここだけをもっとたくさん深く読みたいと思った。

そもそも本書を読んだのは、口絵にベーコンのゴッホの肖像画のための習作が掲載されていたからだ。
ベーコンは、ゴッホの影を明示的にとらえて、色濃い死の影があるから描くべき生があるのだと認識していた旨が記載されていた。1ページ分のみ。

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