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2017年9月

映画「ダンケルク」@丸の内ピカデリー

クリストファー・ノーランの新作。
これは最初のスチール写真を1枚見た時から、絶対見たいと思っていた。
画面への没入感はIMAXが素晴らしいのは承知していたけど、台風が来ているので遠出はせず、フィルムが35ミリで少しはタッパのある画面で見れるらしい丸の内ピカデリーの2Dに行ってみた(ものの記事によると、普通の映画館だと上下40%がカットされてしまうとか)。
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ノーランのインタビュー記事に「映画は体験だ」という言葉があったけど、まさにそのとおりだった。
映画が始まって数分間、映画という体験に放り込まれた軽いショックで身体の後ろ半分にずっと鳥肌立っていた(なぜ後ろ半分?)。
戦争をリアルに描くというのは、「プライベートライアン」のときにも言われてて、あの時はそれなりの納得をしたし、その前、たとえば「プラトーン」とか「地獄の黙示録」とか、ちょっと違うけど「フルメタルジャケット」とか「ジョニーは戦場に行った」とかもある部分のリアルを追求しようとしていたのは理解できた。
でも、ダンケルクはこういったこれまでの戦争映画とはやや違う。
銃撃の場面は多いが、たしか敵であるドイツ兵の姿は映らなかったのではないだろうか。
全編イギリス兵がダンケルクから撤退するはなしであり、戦うのではなく生きるもしくは同胞を生かすためのはなしなのだ。
だからほかの戦争映画に通底する「そもそもこの戦争は何のためにやってるのか」という疑問がここには出てこない。ここでは戦争の不条理を細やかに描くというのではなく、もっと普遍的な、戦争という場だから直接命にかかわることになる個々人の判断や信じるところを描いていて、そして、それらは個々人の意思を超えた生きるということに向かっている
戦争にはネガティヴだけど、人生は戦い続けて行くものなのだというスタンスで、タフで孤独に強い精神(だけ)を描いている映画。
個人の精神の崇高さを描くことで、それを冒涜する戦争を否定するという描き方は、大変にイギリス的なのだと思う。結果として世界をきっちりトレースしている。
史実なので大筋としてはネタバレとかいう部分はないが、細部はかなり創作されていて、加えてハンス・ジンマーのサウンドが強烈に気持ちを盛り上げるので、(良くも悪くも)過剰に感動させられる。トム・ハーディについてはハッとするような瞬間を味わえる。
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さっき見たばかりで冷静に判断できていないのかもしれないけど、ダンケルクは映画の概念自体を変えたのかもしれない。
少なくとも私にとってはそうだ。
ダンケルクを成し遂げたクリストファーノーランは、これからストーリーに頓着しなくなるのだろう。それは映画というカテゴリーだけでなくて。
人が欲しかったのは物語ではなく物語を作る人格のほうだったのだ。
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1964年のフランス映画「ダンケルクの週末」という映画もあったのね。
 

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映画「ボブという名の猫」

金曜の夜は立ち見客もいたほど。猫は世界で人気がある。
私はどちらかといえば犬派で、猫を見るために映画に行ったわけではなく、ロンドンを見るために参りました。
全編ロンドンが舞台の映画。
路上生活の若者が猫を拾って、その猫が人々とのコミュニケイションの媒介になって、ドラッグをやめて、本を書いて、更生できたという、たいへんシンプルなストーリー。
原作は「ボブという名のストリートキャット」として日本語にも翻訳されており、この内容とはやや違うけれど、大筋は同じ内容の映画だった。
映画ではボブ自身がボブを演じていて(!)、ああこんな猫ならこんな話もありうると納得できる魅力を振りまいている。これがこの映画の人気の所以だろう。多くの観客も満足げだった。
ただ、私は、繰り返すけど、ロンドンを見に行ったわけで、冒頭からどっぷりロンドンの映画に大変満足できた。
まさに猫目線の画面も多くて、他の映画よりもロンドンのグラウンドを感じさせた。
それに、映画としてかなりうまくできていることも楽しめた。
こういう、地味な作品を魅力的に仕上げることができるのは、最も素晴らしい能力だと思う。
 

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映画「10年」

暗い、という前評判通り、とてつもなく暗い香港映画(オムニバスで短編5本)を見た。
香港映画と言えばカンフーかカーワイしか知らなかった。そういった娯楽もしくは夢見る映画とは全く違う、日々の日常の不安感を凝視して増幅させてもがく映画。
ぎりぎり商業映画として成立しているかどうかの荒削りさは、一般的にはお薦めできない、
私も、がらんとした映画館で画面の未熟さに辟易していた。
ただ、腹が立つということはなかった。
もし日本の映画でこういう技術的に稚拙なものを見せられたら、作る側の甘えに腹立たしさを覚えただろう。
いったい何が違うのかといえば、それは本物のパッションがあるかどうか。
劇場の椅子に腰掛ける側をはるかに超える怒り。
どうしようもない、居ても立ってもいられない、自分が生きて見ていることを世界に伝えるためには映像を作るしかなかった、
そういうカオスの感情から絞り出されて出来上がった映像は、独りよがりで美しくなくても、受止めることができるのだと、初めて知った。
この映画がそこそこ観客を獲得したということは、香港にはこういうパッションを受け止められる人が多いのだろうか。

映画の情報は右から得た。http://cinefil.tokyo/_ct/17105084

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