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2017年12月

ヨゼフ・ラツィンガー 三位一体の神についての省察

上記はサブタイトル。メインタイトルは「イエス・キリストの神」。
著者ラツィンガーはベネディクト16世で、すなわち前の教皇(現在は名誉教皇)。
ほぼ600年ぶりの生前退位(2013年)で、しかもその退位の理由が不可解だったので物議を醸していた(公式コメントは高齢による心身機能の低下、しかしそもそも教皇は終生在位が当然視されている)。

私が見たドキュメンタリなどによると、数百を超える小児性愛事案をバチカンが組織的にもみ消してきたことが、たしかに本件の大きな要因ではあるけれど、とどめを刺したのはバチカン銀行の不透明なお金の流れだったらしい。それらを教皇は認識認容していたと。
ハリウッドにおけるワインスタインの性的問題も、長年隠され続けてきたのが今年になって明らかになったのは、ニューヨークタイムズの記者がお金の流れで固めていったからだという(検察へのわいろ等)。
セクハラや性的な暴行、強姦等はなかなか立証や共感を得るのが難しいから、それを外形的に顕在化させるにはお金の流れで証明するのが良い、ということがよく判る。

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さて、本書はそのベネディクト16世の退位の前に出版されていて、教皇になる以前にドイツで一般信者のための講話として話された内容をまとめたものだ。
バチカンの、たぶん正当ともいえるキリストについての理解を垣間見ることができるのではないか、と思って読んだ。
日本語への翻訳は里野泰昭で、丁寧かつ意欲的で、美しい日本語となっている。
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私は原罪と三位一体はずっと考えてきていて、たいへんにシンプルで判りやすい説明方法だと思っている。
なのに、関係書籍を読むと、これらの基本概念は、単に人をカオスに突き落とすための道具に使われている。
三位一体とは、一が三であり、三が一であること、・・・こういう説明がアウグスティヌス以来とても多いのだが、けむに巻くのがキリスト教なのかという印象しか持てない・・・というようなことを本書も述べている。
ただ、全くの門外漢が好き勝手に言わせていただければ、結局ここに書かれている三位一体なりキリストなりは、バチカンヒエラルヒーの内部でのお話しであって、さらに上位概念としての真実を述べようとしたものではない。もちろん、聖書に従って書かれているけれど、その解釈においてバチカンの権威化が最終目的となっている。
神イコールバチカンと認識する段階においてはそういう解釈で良いのだろうけれど。
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本書を手元に置く価値があると思ったのは、4分の1程度の部分を占める訳者による三位一体の解説部分があるからだ。
歴史を論理的に記述しており、たいへんに素晴らしい記述だ。
この解説の著者である訳者里野は、東大工学部を卒業したあとは哲学や宗教の世界に身を置き、本書著者ラツィンガーの指導も受けている。かなり純粋にキリスト教の人、なのに、このような素朴で率直な問いかけと判りやすい回答を記すことができるのは、このひとが真摯に真実を見つめようとしてきたからだろう。加えて、日本人で工学部で学んでいるから、バチカンに対して客観的な視点を持ちうる素質があるのかなと。
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聖書を読むと、私は瞬時にほぼ2000年なりの時間(新約なら)を飛び越える。
書かれている内容はさておきで、そのトリップ感が楽しくてベットで聖書を開いてしまう。

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キャス・サンスティーン「シンプルな政府」NTT出版

著者はハーバード・ローの先生で、オバマ政権下においては行政管理予算局情報・規制問題室(OIRA オアイラ)室長。
本書では、実際に政権内で働いたその体験をるる述べている。
演算処理能力の高い人なのは良くわかるし、行動経済学の手法に基づく規制手段に重きを置いた問題解決は鮮やか。

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行動経済学の本で良く出てくる「ナッジ(nudge)」という言葉が、この本でも良く出てくる。
肘でつつく、という意味のこの言葉は、法律の名宛人たる市民が自身の選択権を保持しつつも総体として特定の政策目的を達成する結論に至るような行動やシステム、をここでは指している。
効率的な徴税のためには、たとえば事後的納税よりも還付請求方式にしたほうがよさそうだというのは理解できるわけで、ここでは手段におけるデフォルトの設定の仕方に発想の転換が必要になる。
(ただ、ナッジという考え方については、最初のほうの68ページおよび9章全部で扱っていて、要はパターナリズムと重なる部分があってナイーブな概念であることを著者も認めている・・・ナッジという道具概念の脆弱性は致命的だと私には思える。)
以前からこういう政策目的の実現のための手段の重要性は認識されているけれど、個々の人を合理的近代人と措定していたところが間違いで、人が日常習慣や直観に阻害されていかに合理的ではない判断をするものかは、本書を読むとたしかに納得できる。
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すでにあるシステムを変えたいと思ってしかし変えること自体が容易でないと気づいたとき、本書は発想の転換を促してくれる。
レミング現象を止めるには役立つかもしれない。
そして。
・・・ああこれが無神論というものなのか、と感じた。
著者は憲法学者だから、法規制における目的の憲法適合性はもちろん言っている。まったく正しい。
でも、私の内心、ニーバーの祈りの言葉に感銘を受ける私の心がネガティヴに反応する。
私はもっと自由が欲しい、私の設定した自由の中の自由ではなく、なんの柵もなく天井もない恐怖に満ちた自由が欲しい。
死の恐怖を自由に味わう自由を私に。

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小林勇貴「全員死刑」@ヒューマントラストシネマ渋谷

すごく迷ったのだけど、友人が見に行くというので一緒に行った。
空いてるかな、と思ったら存外の8割ほどの入り。9割が青年男子、か。
福岡県大牟田市のヤクザ一家、一家というのは本当に戸籍上の一家で夫婦と息子2人、その一家で隣人4人を強盗目的で殺害して全員死刑確定というノンフィクション書籍の映画化。
事件としては2004年の出来事で、映画はほぼ事実に基づいて描かれているそうだけど、ユーチューバーが出てきたりして(2004年にはポップではなかったのでは)、事実をアレンジして独自の作品にしている。

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したたかによくできた映画である。
十分に商業映画として成立していて、つまり制作資金を引き出すだけの力があって、それはそれでダイヘンにいい。
見せ方が上手く綺麗にまとまっていて(こんなバイオレンス映画においてこれだけでも物凄い)、すでに共感の素地を有している観客は楽しめる。
ただ、新たな共感を掘り起こして普遍性を獲得する要素はいまひとつ希薄だ。
高評価を与えている映画関係者が本作に普遍性を獲得させたいとしている意欲は理解できるが、それは本作のしたたかさにしてやられているからだ。
プロトコルを微妙に外す、その見せ方が上手い。
私には、なぜ上手にプロトコルを外して見せているのか、その理由がわからなかった。
その理由がわからないうちは私はこの映画には共感できない。


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大澤真幸「山崎豊子と「男」たち」新潮選書

この本はひどい。
ものすごくひどい。

いまの日本のダメさ加減を、日々どうしようもなく感じている人は多いだろう。
そういうダメさがまさにここにある。
学問は貶められ、醜悪な人格がページから立ち上がる。
こんな本を出す出版社も信用できないけど、ググったら批判の多い著者だったので、そこはちょっと安心した。
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ところで。
有名な「NOといえない日本人」という本は読んだことがない。
英語でNOというときは、相手の意見を否定するのではなくて、相手の言っていることを否定形で受けるにすぎない。
ただ、この本には日本人は相手の言うことを否定するだけの力がないと書かれてるのかな、と思ってる。否定するには、自分の物差しに照らして・判断して・意思表示する、という過程が必要で、現代日本人は自分の物差しを持っていないから否定の意思表示ができなくて、持っているお財布にとって都合が悪い時は曖昧な言葉で場面転換するだけ、というようなことかなと。
こういう嘘つきでずるい部分に、ほとほと嫌気がさしている、わたしたち。
自分の物差しを作ることは人生をかけてやってゆくことであって、たしかに簡単ではない。
でも、今ある物差しに照らして明らかに間違っていることがあれば、そこにおいては変化を生じさせなければいけない。間違っていることは正す、そういうシンプルな変化。
わたしたちは変えられる。
なぜならわたしたちは死すべき変わるべき定めの有機体だから。

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大胡田誠「全盲の僕が弁護士になった理由」日経BP

偶然見たTBSのドラマが不思議におもしろくて、これは原作があるのだろうと調べたらすぐに見つかった2012年の本。
全盲の弁護士が数人いることは聞いていて、司法試験のときに法務省と交渉した話等は間接的に知っていたので、知りたいなと思ってはいた。
ドラマは途中から見たので、主人公がどうして弁護士になったのかどのように業務をしているのかとかは判らなくて、単に刑事事件ドラマだったのだけれど、書籍には両親のことから自身の幼いころのこと、12歳で失明して筑波大付属盲学校から慶応大学法学部に入り司法試験を目指し、ロースクールができたのでそちらに移行して合格、そして結婚・第1子、弁護士業務は4年目というところまでが描かれていた。

視覚が閉ざされていることの不便さは、想像してもしきれない。
ほかの感覚器が鋭くなったり、また、ハンディのある人の立場が理解できる、ということが上手く記述されていて、これは著者がポジティヴにうまく受け止めているからだと感じた。
積極的な差別をうけるということないのだけれど、めんどくさいとか関わりたくないということで消極的な形での差別があって、そういう差別に対して自然な姿勢で解消してゆこうと日々行動している姿が素晴らしい。
何のひねりもない直球で感動させられた。

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オーウェン・ジョーンズ「チャヴ」

オーウェン・ジョーンズのCHAVSの翻訳が出た(2017年7月)ので読んだ。
チャヴは2000年ごろから使われている言葉で、ざっくりJ.D.ヴァンス「ヒルビリー・エレジー」のヒルビリー、日本でいえばヤンキーとかに対応するだろうか。
2013年にイギリスで出てすぐに話題になっていた本書はどうにも難しくて読めなかった記憶があって、しかし日本語になっても難しかった。イギリス社会やEUの現状、英語のニュアンスが判らないと意味内容が理解できない。
とはいえ読めば一通りの情報を与えてくれるのは確かで、初めの方の2007年マデリーン事件と2008年シャノン事件の比較など、かなり詳細で判りやすい事例だった。
両事件とも女児の失踪事件で、結論としては、マデリーンはいまなお見つかっておらず(今年は10年の節目だった)、シャノンは見つかり、知人によって報奨金目当てで監禁されていたことが判明する。
ジョーンズが比較しているのは両事件の報道のされ方や社会での受け止められ方で、マデリーンは中産階級(上流ではないという意味で教育と経済的な余裕がある)でシャノンはいわゆるチャヴともいえる公営住宅に住む子供だったのだか、マデリーン事件のほうが初動から多くの(本文中には具体的な数字等が記載されている)被害者に同情的な報道がなされ、たいしてシャノン事件についてはそもそもマデリーンほど報道されなかったのが、のちには犯人のみならず抽象的な公営住宅に住むような人々一般への憎悪ともいえる表現がなされてゆく。
顛末は理解できるのだが、そもそも両事件の報道をリアルに見ていないとこれらの比較分析を読んでも深い納得を得ることができず、・・・そういう意味で本書の理解は難しい。
このほか、1989年のヒルズボロの悲劇(サッカー場で100人ぐらいの観客が圧死等した)なども外電として目にしているだけだとその社会的意味が判らないので、本書で読んでもどこか隔靴掻痒感が残る。
本書は要は製造業がイギリスから失われて、雇用が失われて、固定的な貧困が生じ、そこに政府の適切な施策がなく自助では克服できない段階にあることを述べている。加えて、サッチャリズムが人々のマインドにも影響を与えていて(これはダニーボイルの初監督作「シャローグレイブ」(1994)でも描かれていた)、そのような貧困や階級格差を解消することへの無関心、もしくは憎悪があるのだと。
「ヒルビリー・エレジー」や「ボブという名のストリートキャット」のように克服をしてしまった側の人の話、ではなく、社会問題に一歩踏み込み問題を共有しようして記述されているので読後に閉塞感というか重い感覚が残る。
のだが、私は著者のオーウェン・ジョーンズという人が良く判っていなくて、学生のような風体でいかにもオックスブリッジなんだろうなあという態度のお兄さんが本書の冒頭、チャヴという言葉をなんの頓着なく使う同僚たちに疎外感を感じているのだが、彼がこのような疎外感を得てこんな執念深い分厚い本を書くというのが面白いな頼もしいなと思った。
ダニエル・ピンクが執念深いことが大切ですよというスピーチをしていたのを読んだばかりだったからかもしれないけれど、そう、タフな精神こそが必要なのだ。

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