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存在と時間

10代のとき、ハイデガーの分厚い標記書籍と、同じぐらい厚い萩原朔太郎の全集の2冊が一番大事な本だった。
朔太郎の詩は、他人に説明はできないけれどどうしようもなく解る、という感覚があって大切だった。他方、ハイデガーはこれはどうしても解らない、たぶん一生解らないのだろうしそれで構わないと感じていた。

ざっくばらんにハイデガーを語る本(木田とか轟とか)がたくさん出ていて、なるほどとは思うのだけれど、実は私は自分の解釈が一番気に入っている。
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ハイデガーは神を識っていた。入口はもちろんキリスト教だけど、もっと普遍の神が彼にとって神だったから、いわゆる神という言葉はすでに使えなかった。
それは旧約では「有る」(出エジプト記3章)として記述されていて、ハイデカーもそう感じていた。要は万能の知り尽くせない対象、それはわかっていた。それでもその近くに居たかったから、彼はずっと考え続けていた。
語っても語りつくせず他人に伝えられない対象、ずっとそばに居たい対象。
人間の概念に直せば、永遠とか時間とかと言ってもいいだろうか。まるで合わせ鏡の中の世界のような。
彼はその世界を文字で固定してみようと試みた。
言語で説明して伝達するのではなく、文字で合わせ鏡を作り、そこに光があることによって視覚的に永遠に続く世界を認識できる装置を作る、それが「存在と時間」という書籍。上下巻揃ってひとつの装置。
ミヒャエル・エンデのネバーエンディングストーリーもたぶん同じ発想で、こちらは入れ子構造。
ハイデガーはある意味思い付きだけの人で(これは至極当然なこと)、結局上巻しか書けなくて書いた以上の深淵はなくて、それは逆に演算能力で神の存在証明はできるということの証左かもしれない。
私は、存在と時間に加えて、光が大切なのじゃないかと思う。三位一体の子たるの存在。
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最近読んだ本:
■ジョン・マクウォーリー「ハイデガーとキリスト教」
著者は「存在と時間」を英訳した神学者。ハイデガーから英訳についてはハンナ・アーレントに相談するように言われて、アーレントと対話する中での、ハイデガーのナチ党員だったことの意味も書いている。
日本語では「彼は実務家ではなかったから」という表現がされているのだけれど、pragmaticが原文だろうか。
■深井智朗「神学の起源」
カール・バルトの「中に入れ」という説が紹介されていて、まさにその通りだと思った。
自分の考えるたいていのことはすでに誰かが本に書いていて、説明をする際にはそういう先達の引用ができると話が早い。
いまは、チャールズ・ドットの、すでに神の国は実現されているという説を調べたいと思っているところ。
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「われわれは『天にいる神』をほんとうに信じていませんが、ほんとに信じていないことを口にしてはいけないというのが、キリスト教信仰の第一の前提です。」
という文章があった(もちろん上記の書籍ではない)。
非常にチャイルドリッシュな印象で、なぜなら、もしこの文章が真実だとすれば著者はキリスト教を信仰していないことになる(しかし著者はキリスト教者)。こういうプロトコルの外し方は、上位に位置する真理を述べるときにはいったん現時点を破壊する必要があるから使ってよい。しかしここではそのような真理を述べてはおらず、見てきたようなことを言っているとしか思えない(真理に触れていると認識したいという我慾があるだけ)。
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ということで、今年もますます勝手なことを書き散らかしてゆこうと思うのであります。

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