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ダークツーリズム

井出明著、幻冬舎新書「ダークツーリズム」および美術出版社「ダークツーリズム拡張」を一読した。

たまたまであるが、ローリー・スチュアート「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」も今読んでいて、これもダークツーリズムと言えばいえる内容だ。
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ダークツーリズムとは、ポストモダンの文脈における人類の悲劇を巡る旅をいう(そうだ)。
何を持ってポストモダンととらえるかは「今」をどう認識するかとの関係性で決まるので、ダークツーリズムも主観的な関係性でカテゴライズされる側面がある。
同じひとつの被災地が、外部者からするとダークツーリズムの対象になるとしても、そこにかつて住んでいた人にとっては、土地と今との連続性が個人の生活レベルで存在していて、そういう側面ではダークツーリズムにはならない。しかし、かつて居住していた彼・彼女が歴史的社会的にその土地を捉えなおすとき、それはダークツーリズムに該当するのかもしれない。
また、単に物見遊山で悲劇の地を訪れるのも、これもダークツーリズムではない。
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このようにダークツーリズムは、真実探求の方法のひとつであるから、学術的なものである。
しかし、その学術性はツーリスト側に立証責任があることが、ほかの確立した学問分野と違う。
「ダークツーリズム」という言葉自体、できてまだ20年程度しか経っていないのだから、認知度が低いのは仕方がない。
くわえて、このようにほぼ直接人の生死や悲劇を学問対象とすることが可能なのか、という部分も、実は存在していると思う。
真実を探求し後世に伝えるため、学術的な目的である、興味本位ではない・・・実際にそうであって明らかに必要性が認められるツーリズムであっても、では悲劇の当事者の立場性はそこでは考慮されないのかという、別次元の観点が存在するからだ。
それは社会と個人の対立構造とパラレルであり、答えはない。
それでもツアーに赴くのであれば、そこには相応のパッションがなければならない。
「探し物なら他をあたってくれ」と言われたときに、「いや、ここにあるはずなんです、どうぞ見つけさえてください」といえるパッション。
ただ、これはどの学問分野にも内在していることだ。

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