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「はじまりのうた」

承前。
なんでも受け手の側からの受け止め方でしかないわけだけれど、私はこの映画ではポストキャピタリズムへのリアルで明確な方向性を感じた。
これならいける、と。

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ナイトレー演じる女性は、偶然出会ったプロデューサとともに既存の音楽業界による流通とは違う方法を生み出す。これはネットを使ったよくある資本主義から抜けだす方法で、特に目新しいわけではない。
ただ、彼女がそれを成功させたたのは、要は人のマインドの力なのだと、この映画はささやいている。
大物ラッパーが彼女の音楽を支持するツイートしたから、彼女の存在は世界に知られることになったわけで、このラッパーが本物を見ることができて、マインドを持っている人だったから、ここの部分が映画の展開として成立している(瞬く間にたくさん売れて良かったね、という映画的な展開)。
女性は最初普通に恋人とニューヨークにやって来て、一緒に住んで、彼のアバンチュールに腹を立てたり、まあ型通りの時間を過ごしている。
でも、本物が見つけられずギリギリの部分で生きていたプロデューサに出会って、型通りから脱皮してゆく。
そう、資本主義は「型」なのだ。あまりに自然に存在しているから当然のようにその型通りに生きている私たちだけど、必ずしも型から外れる必要はないにしても、型にとらわれることのない自由さを持っていなければいけないのだ。
女性はプロデューサと明らかに恋に落ちる。プロデューサもすべてを捨てて彼女と過ごそうとする。でも、二人は恋人になることや結婚につながるルートに乗ることは型であって、その型には乗っからない関係性を無言で選択する。
この選択は、精神的にはかなり、かなりツライ。でも、彼らは型にはまって既成の流れに乗っかって安穏と時間を過ごすことをやめたのだ。もっとひりひりする本当の生の時間を生きてい行くことを決めたのだ。本当を見つめて生きることでしか彼らは生きて行けないから。嘘の人生なら、その人生はいらないと、すでにどこかで決めている彼らだから。
映画には描かれていない多くの過去を彼らは経験していて、そこから彼らは強い意欲を持った人になったのだろう。
私は彼らは本当に正しいと思う。
この映画の監督は、「ダブリンの街角で」でも本作と同じように型にはめないストーリーを描こうとしていた。そしてそれは成功していたけど、まるで、偶然のような、はかない感じだった。
でも本作は違う。とても力強い。
そういうことで、私はこの映画を100%支持する。
ただのイギリスマインドが好きなだけかもしれないけどね。
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資本主義の次に行くことは、以前から思っていたのだけど、要は産業革命みたいな、一つの革命になるのだろう。
では前の産業革命は一体なぜ成功したのか。
私が思うには先立って農業の生産性が上がって、食料の余剰が生じたことが、最も重要なファクターだと思う。そこで初めて都市が形成できることになる。
とすると、一番の謎は、なぜ農業の生産性が上がったのか、だった。
なだらかに向上してきたのではない、勃興する力があったからそこから産業革命に連なったのではないかと考えていた。
この予想は当たっていたみたいだよ。
これはまた後日。

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