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2019年4月

ジョン・アームストロング, アラン・ド・ボトン「美術は魂に語りかける」

美術は魂に語りかける

アラン・ド・ボトンは私にとって特別な人だ。
彼がいるなら、アートを「学ぶ」必要はないと思った。
そして、だから私はパンクになろうと思ったのだった。

いい意味で、アームストロングとボトンが売れる本を書こうと決めて書いたのが本書だろう。
巧みな構造で、アートが分かる気持ちにさせてくれる、"なるほどねー"と思わせる本だ。
アートに興味がある人は、読めば面白いと感じるし、勉強になるとも感じる。
読む価値がある。

アートの位置づけは、人によって違う。
空気のように常に無意識で取り入れていて、それがないとほとんどすぐに死ぬ、というレベルもあるだろうし、
水の程度に、無いと死ぬ、というのや、ケーキみたいにたまには食べたいね、って程度もあるだろう。
逆に、エスニックフードのように、それが食べられているのは知っているけど、別に自分が食べたいとは思わない、ってのもあるかもしれない。

アートというのはひとつのコミュニケーションの手段で、中でもファインアートは社会とのコミュニケーションの手段だから、チャンネルがアートにあってしまった人はそれでコミュニケートするということになる。
コミュケーションをどれだけ必要としている人格なのかによって、アートの必要性も変わる。

私はアートがなければ生きてゆけない派だった。
最初はたぶん自然の造形もしくは光そのものが私にとってアートだった。
幼いころは、地面との距離が近くて、土や草や光の美しさが私を生かしてくれた。あの、生かされているという感覚は刻まれている。
ファインアートを見たのはいつだったか、ほんの子供のころ、アートは底なしの退屈さだった。暴力的な退屈さ。今思えばそれは「孤独」というものだったのだろう。
人が孤独を最初に感じるのはいつなのだろう。
胎児のときから感じるのだろうか。
そして、たぶん孤独の感とアートへの渇望はパラレルなのだ。

そうなんだよね、
最近、アートへの渇望は失せ、同時に孤独感が無くなった。
(本書の雰囲気をまねして書けば、
たとえば他者との対立なりで以前は魂の孤独を感じていたのですが、最近は、自身の個人という存在を認識するだけでそれを大仰な孤独とは感じなくなった。
年齢を重ねて感受性が鈍っているのというのとは違って、逆に、もっと強くて衝動的な感情が動いている。
ケイトとアンソニーの件は、とても分かるように思う。)

孤独感。
こっちの感覚も、人によってかなり違うのは知っている。
ゴーギャンの「オリーブ山のキリスト」(これは本書85ページにも載っている)を誰もが共感できるわけではないだろう。
もし、死を認識しつつそれに臨めるなら、それは孤独に浸ることになのだろうと考えている。
その孤独のとき、意識が明晰な段階では、私は何を感じるだろう。
それはその時だけの秘密なのだと、ある人が詩で書いていた。
私もそう思う。
詩は美しい。

 

ジェームズ・ブライドル「ニューダーク・エイジ」

大学のときの先生の文章を久しぶりに読んだ。
あまりにカッコいいではないか。

ゴドーが今日来るとか明日来るとかどうでもいいし
神がいようといまいと関係ない.
そう、世界が何といってもそんなの関係ないものがある。

最近読んだ本では、
ジェームズ・ブライドル「ニューダーク・エイジ」がたいへん面白かった。
書いてあることも面白いけど、書きっぷりが怒涛のようで良い。
知らなかった人だけど、New Aestheticの旗手らしい(こんな作品、TEDでこんなことも言っていて、ようつべビジネスの残虐さがわかる)。
シンギュラリティ物は単に上っ面の技術だけでは得るものはなくて(だって、未来の予想はできないし)、
なにかポイントで深く掘る、基軸がないと読むに値しない。

私の思想は本当に自由なのか、
生きるという人間性に規制されるのは、そこは当然として、
自由度が十分に保たれているのか。
自問する。

 

 

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