書くこと
最近、ジョージ・オーウェルを考える。これもフランシス・ベイコンつながり。
ベイコンはオーウエルの配偶者のサロンにしばしば参加して、この配偶者と絵画論の本を出そうとしたことがある。それと、ベイコンのもっとも熱烈な批評家シルベスターは、若いころオーウエルに薫陶受けて一緒に仕事していた。
ベイコンとオーウエルの直接のつながりはあまりないけど(オーウエルは早死にしてるから)、どう考えてもベイコンはオーウエルに影響されている部分がある、と感じる。
オーウエルの先見性は、彼が比較的若い時に世界を見たからだろう。
早川文庫の1984の解説はピンチョンなのだが、それを教えられてこの解説を読んだ。ぐわっと突き刺さる解説だった。
私は、自分には知らないことがあまりに多いことは知っている。
この一事をもって私は私を愛することができている。
ヒトの社会性というときに、すぐに考えるのは他人との関係とか平面的な広がりだけど、じつは縦軸というか時間的なつながりが大きいというのは、社会学とか文学とかの世界ではたぶん当然なのだろう。
絵画とか文学とか音楽とか、論理で説明できないものを表現する世界は魅力的だけど、直截な伝達手段をいま、欲している。
社会性が失われた人間は社会に反逆する。その結果、社会はすべての構成員を失うことになる。
いまのところ、それでもいいとも思う。
« さよなら、ベルリン | トップページ | 12月 »
« さよなら、ベルリン | トップページ | 12月 »
コメント